平凡なことを非凡に努める

(株)イエローハット相談役 鍵山秀三郎

不幸せな豊かさの時代

私の今日まで歩んできた道につきまして、少しお伝えをしたいと思います。

私は昭和8年8月18日生まれでございますから、今年67歳になりました。小学校6年生の時に終戦になりました。その当時、日本人が望んだことは五十数年経た今日、すべてがかなえられたと思います。

あのとき私たちは何を望んだかというと、おなかいっぱい食べられるようになりたい、常に寒さを防ぐ着るものが欲しい、年に数回は映画が観たいというようなことでした。その時の願い以上のものがすべてかなえられたわけですから、本当は日本人は幸せで、幸せで、幸せの極地にいなければならないと思うんですが、実は幸せではない。とても豊ではありますけれど、幸せでない。

今の時代のことを一言でいうと、不幸せな豊かさの時代です。豊かになったのに幸せではないと思います。

せっかく豊になったのですから、幸せにもなりたいと私は思うんです。豊かで幸せならそれ以上のことはないんですから。そう思うんですが、残念ながら今の日本は、だんだんと私たちの願いとは違う望んでいない方へ、未来とは逆の方向へと行っているんです。そして忌まわしい不祥事が次々と起こるようになりました。

才能も技能もないから

こういうふうになりますと、日本に強力なリーダーが現れ、大変革を起こして、世の中を変える以外ないんではないか・・・そしてその大リーダの登場を願う人が多いんですが私はそれはだめだと思います。大リーダーが現れるのを待つのではなく、一人ひとりが自分たちの生き方を変えるだけで、この日本という国は、あっという間にすばらしい国になると私は考えています。それにはどうしたらいいかとうと、たとえば職場でよい先輩になろう、よい上司になろう。家ではよい父親、よい母親になろう、あるいはよい祖父母になって孫の見本になるようなことをしようと。こういう生き方を一人ひとりがすれば、日本という国はあっという間に世界のあこがれるような国になれると思います。

そのために、世の中にかけているものをなんとか取り戻していこうと思って運動を続けております。

私のように学歴もない、なんの才能も技能もない人間ですら、念じ続ければ、必ず大きな力になり得るということをたくさんの体験から知りました。

私の人生を一言で申しますと「誰にもできる簡単なことを、誰にもできないほど続けてきた」ということです。私のやってきたことになに一つ難しいことはありません。誰でもやろうと思えばすぐにできることなんですが、ほとんど皆さん続けることができないんです。

どうして続けることができたかというのには、いくつかの理由があります。

ザルで水をすくったとしても

私にはなんの才能も技能もない、だとしたら平凡なことを徹底して、非凡な努力をしていこうとしてきました。どこを見ても、批判されることはあっても、私のやっていることを認めてくださる人はいませんでした。もっといいことがあれば、そっちに移ろうかなと思ったこともしばしばありましたけれど、しかし、どう考えてみても、今やっていることを変えても、また一からあるいはゼロから出直しをすることになる。だとしたら、やり続けてきたことをやろうと思いました。

私は人によくこういわれました。

「あなたのやっていることはザルで水をすくうようなものだ」と。要するにやっても、やっても甲斐がないと。

しかし、ザルで水をすくったとしても、それをバケツの上に持ってくれば、何滴かの水は落ちるんでね。それを繰り返し繰り返しやっていれば、大きなバケツだとしてもやがて必ずいっぱいにすることができます。タライいっぱい、浴槽でも満たすことができます。

水をザルに注いでも・・・

私から見ると、世の中のほとんどの人たちは、いっぱい汲めるからといって、バケツで水をすくってそれをザルに注ぐようなことをやってきたんじゃないかと思うんです。たしかにバケツならばたくさん水が汲めます。そのたくさん汲んだ水をザルに注げばどうなるかというのは、考えるまでもなく、いくら入れ続けても、それこそなんにも溜まりません。残らないでなく、たくさんの水を無駄にします。弊害まで伴います。なに一ついいことはないんです。そのザルに水を注ぐのと同じようなことが、十年前、日本で行われたんです。

日本中のみんなが大きな器で水を汲んで無駄にしていた。つまりたくさんの、天文学的なお金を無駄にしてしまいました。その後始末がまだできずにいるというのが今の姿だと思います。このようなやり方を続けていれば、十年経っても二十年経っても悪くなることはあっても、よくなることはない。地道に、効果は少なくても確実な方法をみんなでしなければいけない。こういうふうに感じております。

心のすさみが諸悪の根源

昭和28年にある会社に世話になったんですけれども、それこそなんの技能も才能もなかったために、先輩からずいぶんといじめられました。仕事はつらくない。でも、先輩からいじめられるのはとてもつらいことでした。しかし、その会社で八年半お世話になっている間に、いろいろなことを身につけ、絵に描いたような株式会社を作り出す・・・そういぅ夢に燃えて、昭和36年10月10日に独立操業したんです。独立操業といっても、それは自転車一台での行商でした。

自転車の後ろに荷物を積んで、一軒一軒まわりました。行った先々で、普通はないような屈辱的な目に合いました。しかし、そういうことには耐えられました。

私のように耐えられる人ばかりではなく、そういうことに耐えられない人もいる。そういう人はどうするかというと、自分のなかに怒りが起きてきます。そしてそれが大きくなったときに犯罪にもつながります。人間の心のすさみというのは犯罪の温床であります。この心のすさみが諸悪の根源なんです。ですから人間の心のすさみを減らしていこうと思いました。

環境がきれいになれば・・・

しかし、そうは思ったんですが、どうやればいいのかその方法が見つからないんです。

とにかく私のような人間にでもできることは、環境をきれいにする・・・足元からきれいにすることが一番効果があると考えました。なぜかというと、人間は、いつも自分が見ているものに心は似てきますから。周囲がきたないと心まで乱れてきたなくなってくると思いました。

ですから、まず周囲をきれいにすることからやっていけば、かならず心もきれいになっていくという一心で、徹底した掃除に取り組んできました。今日はみなさまがたにその状況をお見せすることはできませんが、私どもの会社はいま、みんなが出てまいりますと、会社の周辺・・・延べにしますと2.5キロくらいになると思いますが、毎朝、掃除をしています。秋なんかは落ち葉がものすごくなりますので、それだけでもたいへんなんです。

最初の十年くらいは、会社の中で机の上をざっとなでる、下をほうきでさっさとはくくらいの掃除でして、外の掃除なんて誰もしてくれません。車も汚くして乗っている。こういうことでは人間の心はすさむばかりです。

私は朝五時に職場に出てきて、事務所、車、会社の周辺を掃除しました。

車を洗ってくれるようになったのは昭和48年です。操業してから12年経っていました。よくここまで続いたなと思いました。

三十年続ければ

続けることがいかに大事なことかということは中国の古典に「十年偉大なり、二十年恐るべし、三十年にして歴史なる」とあります。十年間やり続ければ、それは偉大になる。二十年たつと恐るべき力になる。三十年たつと、一つの歴史になるほどの力になるというのです。まさに私の掃除人生は、この中国の古典の教訓そのものでした。

社員の人たちは、いつも知らんふりして、そっぽを向いていて、私が一人、トイレで屈み込んで掃除をしていると、その脇で平気で用を足していくというようなかで続けてきました。何段も何段も階段を拭いていると、私の手をまたいで、踏まれるんじゃないかという感じでした。それが十年過ぎたころから掃除のやり方を教えて欲しいといってこられるくらいになりました。しかも、私どもの会社よりもはるかに歴史が古く、大きな会社が、です。今も一部上場企業二社が掃除のトレーニングにきております。

それだけではなく、日本を美しくする会というのができまして、全国各地の学校や駅のトイレを掃除するという運動にまでなりました。四十七都道府県のうち、四十四都道府県にまでその運動は広がっていす。その運動が起きていないのは、秋田県と徳島県と福島県の三県だけです。海外では、中国とブラジルでも起こっていて、ブラジルは今年で五年目になり、サンパウロの会員は千五百人にもなります。東京ではこの8月20日、世田谷区の池尻小学校で千人会といって、全国から千人の人が集まりました。

ある寒い雨の日に

話は前後しますが、私が行商をしているときに、先々で屈辱的な思いをしましたが、しかし、世の中にはそんな冷たい人ばかりではありませんでした。このお話だけはしてから先に進みたいと思います。昭和37年の2月ですから、私が仕事を始めてから半年も経たないときです。行商に何よりの敵は雨です。合羽を着て、訪問をしても先ず断られます。断るというよりも、手で向こうへ行けと追い払われるという感じです。合羽を脱いでなかに入ろうとしても、それでもだめなんですね。実にみじめな思いをします。

そのうちに、脱ぐ前に、なかに入れてくれるかどうか探ってみるようになりました。なかに入れてくれそうならば合羽を脱ぐようにしました。

ある寒い雨の日のことです。表に自転車を置いて、なかに入っていいかどうか思案して、ドアを左手で開けてなかを見たとき、なかから手が出てきて、階段が二段あったんですが、私の手を力強く引っ張り上げてくれました。そして、温かい声が上から聞こえてきました。「今日は寒いでしょう。どうぞお入んなさい」と。私は一瞬入っていいか思案しましたが、引かれるままに入りました。そうしたら、その方は私の後ろに回って、私の肩を合羽ごと抱きかかえるようにして、奥へと連れていってくれました。奥には真っ赤に燃えるストーブがありました。そのストーブの前まで連れていってくれて、「手が冷たいでしょう、おあたんなさい」と言ってくれました。

それは藤山一郎さんだった

私はなんといったらいいのか、天にも昇る心地というのはそういうことをいうんでしょうか、うれしい気持ちでいっぱいでした。そればかりでなく、傍らにあった台の上のお団子を一串私にくれたんです。「どうぞおあがんなさい」とまるで大事な人をもてなすかのように、一介の行商人である私をもてなしてくれました。

私は「ありがとうございます」と言おうとしたんですが、声がかすれて出てこない、ですから、私はお団子を持って、三度四度と頭を下げました。そのことを今でも覚えています。

世の中にはなんと心の温かい人がいるのだろうか。私もこういう人のようになりたいと思いました。その人こそ、いまは亡き大歌手・藤山一郎さんだったのです。

あのテレビで聴くような朗らかな声で、自分の服が濡れるのも厭わずどこの誰かもわからない一介の行商人である私の肩を抱きかかえてくれた。本当にすばらしい人でした。

憎しみ・恨みはその場に置いてくる

一方、冷たくされる方もたくさんおりました。そういう人たちに会うたびに私はこういうふうにはならない、絶対に人が嫌がることはしない、人がつらくなるようなことはしない、と自分に言い聞かせてきました。気がつかずにやってしまうこともたくさんありますけれど、知っていてわざとするようなことは絶対にしないようにしようというふうに決めました。

かってそういう思いをしたときのことを写真を見るように覚えておりますが、しかし、覚えてはいても、それを以て恨みに変えたり、憎しみに変えたりはしません。そんなことをして誰が損をするかと言えば、それは自分ですから。人を恨んだり、憎んだりすれば、そういう根を持った人が損をするんです。そういう根を持っていると夜は眠れない、食べるものは不味い、疲れる、仕事をしようとすると眠くなる。

そういうことがあっても、それは忘れはしないかもしれないけど、それはその場その場に置いていってしまうという訓練をすることです。世の中には私どころではない、もっともっと苦労をした人がたくさんいると思いますが、私から見ると、その苦労を無駄にしている人がたくさんいると思います。せっかく苦労したんです、なんのために苦労したのか、その全部を無駄にしてしまう。どういう人がその苦労を無駄にするかというと、いつまでもその苦労を引っ張って、私は苦労をしましたと顔に書いてあるような人ですね。それではいけませんね。もう一つは、苦労をバネにして、大いに励んでそこそこの力をつける。そうなったときに、今度は自分のされたことを人に仕返す人が多いんです。これも苦労を無駄にしているんです。

苦労を顔に出さない

自分がされた嫌なことは全部自分のなかに受け止めて、そして消化することが大切です。それからそんなことはなかったかのような顔になれる。これほどすばらしいことはないんです。

「私はこれまでさんざん苦労をしました」と顔に書いてあるような生き方をする・・・これは切ない人生だと私は思います。どんな苦労をしても、なるべくそういうことはなかたような、そういう顔になれたら一番いいと私は思います。

去年、滋賀県の青年会議所で講演したときに、一人まったく苦労を感じさせない、仏様のようなすばらしい顔をした人がおりました。本当に感心しましたね。青年会議所ですから、一番上でも四十歳くらい,OBでも四十歳から五十歳くらいです。

素晴らしいですね、苦労が顔に出ていませんねと言うと、「いや、なにも苦労していないんですよ」というふうに言っていました。苦労しないで苦労のない顔は誰でもできます。苦労して苦労のある顔も誰でもできます。苦労しても、苦労しないような顔ができたら、これは素晴らしいんです。

相田先生の「憂い」

私がとても気に入っている詩があります。

数寄屋橋(東京・中央区銀座)の角に東芝ビルというのがあります。一階から四階までが阪急百貨店で、五階に相田みつを美術館があります。その相田先生が、生前十年くらい前に書かれた「憂い」という詩があります。悲しみや苦しみを憂う詩を書かれました。それを開館三周年の時にパンフレットにしたんです。素晴らしい詩です。

憂い

昔の人の詩に会いました

「君見よ 双眼の目を語らざれば 憂いなきに似たり」

憂いがないのでもありません 

悲しみがないのでもありません

語らないだけなのです

語れないほど深い憂いだからです

語れないほどの悲しみだからです

人にいくら説明したって まったくわかってもらえないので

語るのをやめて じっとこらえているのです

文字にも言葉にも とうてい表せない深い憂いを 重い悲しみも

心の底深く ずっしり沈め

じっと黙っているから 目が澄んでいるんです

澄んだ目の底にある 深い憂いがわかる人間になろう

重い悲しみの見える目を持とう

「君見よ 双眼の目を語らざれば 憂いなきに似たり」

という詩です。

「君見よ・・・・」の詩は相田先生の詩ではなく、禅林叢林という書のなかに出てくるものです。

どうぞみなさん、私の二つの目を見てください。私がなにも言わなければ、なんの苦労をしたようにも見えないでしょう、という意味です。

先ほど、私は自転車で行商をしているときにこんな苦労をしました、みなさんに申しましたが、本当は、こんな話はしないで、じっと胸にしまっておくほうがいいということを私たちに教えてくれているんです。この相田先生自身も大変苦労をされて、六十七歳でたくさんの名言を残しておられるのは、苦労を消化されて生きてきたから生まれた言葉だと思います。

私は聖人君子ではない 

私はみなさま方の前で聖人君子みたいなことを申し上げておりますが、実はそんな聖人君子みたいなことはしておりません。

特に関東圏から名古屋、大阪、広島、福岡。北の方は仙台、青森と人数は少ないのですが、私のような零細な会社にきてくれる人はいませんので、少ない人数で仕事をしていました。高速道路や新幹線などが発達していませんでしたので、車に荷物を積んで東京から仙台、青森まで行きます。そして行ったら早く帰ってこなければなりません。夜中、車が走っていないところでは赤信号無視。いいとは思いませんでしたが、やらざるを得なかった。

当時、千代田区三番町に会社があったんですが、あるとき、夜中の二時ごろ広島に向けて出ようとしました。一番最初の大きな交差点が麹町一丁目の半蔵門会館のところです。すぐそばに麹町警察署があります。

見たら、どちらからも車の姿が一台も見えない。赤信号無視です。そうしたら、後ろにパトカーがいたんです。すぐに止められました。

これから広島に・・・・

今の赤信号に木がつかなかったかと言われ、赤信号は気がついていましたが、おまわりさんがいることは気がつかなかったと言いました。これからどこに行くんだと聞かれましたので、これからすぐに広島に行くんだと言いました。

すると、これから広島まで走るのに、今ここで捕まったんじゃ、気分が悪かろうから、今日は、勘弁しますが、そのかわり気をつけて行きなさいと言ってくれたんです。

ありがたかったですね、本当にうれしかったです。そのときに、これから遠くの方に行くと言えばうまくいくなと。それから、青森だ、今度は九州だと言いましたが、その後一回も通用しませんでした。遠くへ行くと言ったら、なお気をつけろと説教されました。そんな時代もありました。

私はこんなことをしないですむ、大きい会社にしようとは思いませんでしたが、いい会社にしようと思いました。いい会社にするためには、社員の一人ひとりがいい飛躍ができる、そういう会社にしようと思ってやってきました。

継続のコツは“コツ、コツ”

今、私どもの会社に掃除の研修に来られる方が必ず質問されることがあるんです。

掃除をすれば、必ずよくなるということはわかっているが、継続ができない。継続できるコツは何かということを必ず聞かれます。

継続のコツは二つ、コツ、コツとやることですと答えます。まあ、これは冗談ですが、継続のコツは工夫することですね。

職場で仕事に飽きないようにするためには、たえず工夫を重ねることが、飽きないための大きなコツなんです。どんな立派な人でも、同じことを同じやり方でやりつづければ、必ず飽きる。食べ物でもそうです。どんな好きなものでも一週間でかならず飽きます。同じ材料でも作り方を変えると飽きずに食べられますが、同じ材料を同じ作り方、同じ味付けで料理すれば飽きます。

それと同じように仕事も工夫を凝らして、たえずわずかでも変える。変えていくときに、初めて飽きるというとことから脱却することができるんです。

投げ込まれている掃除道具

私は掃除道具も非常にたくさんの種類をそろえています。しかも、その掃除用具はいつも整然と置いてあります。誰もがそこに行けば、きちんと必要なものが手に取ることができる。探さなくてもわかる。

屋内用、屋外用と分かれています。

屋内はこれだけあれば全部用が足りる、屋外はこれだけあれば足りるというように必要なものは全部揃えてあります。整然と、掛ける紐まで揃えてあります。

それが継続のコツなんです。

私が請われてよその会社に行って、掃除道具を見せてくださいというと、置いてあるというよりも、ほとんど投げ込んである。ひどいところになると、バケツの把手がとれていたり、もっとひどいところはバケツの底が抜けて使えない、なんていうことがあります。ほうき先がとれていたり、デッキブラシの先がもげていたりします。そのなかからなんとか使えそうなものを取りだしては使うというのでは、継続はできません。

小善・小悪

もう一つ、大きなことには関心を持つんですが、小さなことには無関心なんです。たとえば、郵便局の簡易保険でも一千万円と決められています。その額には興味を持つんですが、何千円というとなんだとなる。そういうふうになりがちなんです。しかし、私はそうではなく、小さなものを大事にしなければいけないと思いますね。そのことが、中国の詩経というもののなかに書かれています。

「小人は、小善を以て益なしとして為さざるなり 小悪をもって傷(そこ)なうことなしとして去らざるなり」と書いてあります。

つまり普通の人は、小さな善―風に舞って飛んできたゴミを一つ拾うとか、電車に乗ったときに足元に転がってきた空き缶を拾って降りるとか−をそんなことをしても人生がよくなるわけはないといってやらない。一方、小悪−交差点で止まった車からタバコを捨ててみたり−をやったとしても、人生が傷つくことはないだろうと思って、いつまでもやりつづける。

たしかに煙草の吸殻一つ投げただけでは急激に人生は変わりませんけれど、それをずっと続けていくと、けっしていいことに結びつかないということです。

どうか、小善、小悪を甘く見ないで、小善はちょっとしたことでもやって、小悪は今までやってきたことをやめる、そういう生き方をしていただきたいと思います。

「箸よく盤水を回す」

こういう話をしますと、「いや、私は人に影響を与えるような力はないからだめだ」とおっしゃる方が多いんです。また、これもすばらしい言葉がありまして、「箸よく盤水を回す」といいます。

箸は一本の箸です。盤水というのは、タライいっぱいの水です。一本の箸でタライの真ん中を回すと最初は箸が回っているだけですが、根気よく回していると、水が少しずつ回り始め、さらに続けるとだんだんと水が回り始め、しまいには一本の箸でタライ全体の水を水を回すことができるということです。

つまり、小さな力であっても、継続すれば必ず大きなものを動かす力になるという教えです。

私は箸の十分の一ほどの力もないんですけれども、それどもいいと思ったことをやり続けてみたら、多くの志を持って共鳴してくださる方につながりました。よいと思ったことは、どうか勇気をもって、やって欲しいんです。つい、人がどう思うかというところに気がいってしまう。気になりつつもそれをやらない。そんなことは誰も気にしませんね。みなさん方が電車のなかに転がっている空き缶を拾ったとして、軽蔑しますか?しないですよ。大したもんだ、あんなふうにできたらいいなと思うはずなんです。人はみんなそういう気持ちです。

いつも瞳は澄んでいよう

先ほど、相田先生の詩をご紹介しましたが、もう一つ詩を紹介させていただきます。

四国にお住まいの坂村真民先生という方の詩です。九十一歳で活躍されていらっしゃいます。

騙されてよくなり 悪くなってはだめ

踏まれて立ち上がり 倒れてしまってはだめ

いじめられて強くなり いじけてしまってはだめ

いつも心は燃えていよう 消えてしまってはだめ

いつも瞳は澄んでいよう 濁ってしまってはだめ

というものです。

どんなことがあっても、どんなに周囲の環境が激変しても、心の灯火を消さずに持ち続ける。そして瞳が濁るようなことはしない。瞳が濁る生き方というのは、どういう生き方かと言えば、自分だけのことを考えるということで、かならずそれは瞳が濁ってきます。

私は今までずいぶん数多くの暴力団に監禁されたりなんかして出会ってきましたけれど、全部自分だけのことを考える集団ですから、一人として目が澄んでいる人間に会ったことはない。みんなドローンとした、嫌な目をしています。ああいう目になるような生き方は絶対にしたくないとそう思いました。

今日は、貴重な機会をいただきまして、本当にありがとうございました。

                                終わり