名古屋の五千万円恐喝事件、西鉄バス乗っ取り事件など少年凶悪犯罪が増える中
 みんなで考えてみましょう。
 もちろん、私たち大人の責任なのかもしれません。
 次の文章は部内紙に載ったある先生のお話です。
 少年補導功労勲章(金賞)を受賞された方です。
 私の感想:もっともな話で何時の時代でもこうでなくてはいけないという(基本的な)こと
        はわかります。
        では、具体的にどうすれば・・・自分で考えることかな。
        皆さんの意見をお待ちします。


      *** いま求められる、家庭教育のあり方 ***

                                 向井正次(○○高等学校教諭)

 親の愛情と温かい家庭が子供の将来を決める
 何はともあれ、まず第一番に大事なことは、家庭では愛情、温かい家庭ということです。
特に母親の愛情というものは、海よりも深く山よりも高いものだといわれております。
 この愛情が少年を守り、将来を決定する大きな要素であると思います。これが今はいろいろな面で欠如しているのではないかと感じています。
 みなさん方もご存知のように、不屈の闘魂と人以上の練習を重ね、大相撲の関脇の地位を築き上げ、平成11年の初場所で優勝の栄冠を勝ち得た千代大海は、角界では押しも押されぬ名力士に成長しました。大関昇進とさらに土俵上での殺気を感じさせる気迫と精神力は、相撲ファンのみならず、多くの人々の心を揺さぶるすばらしい要素を備えているように思います。
 でも、この千代大海の少年時代を振り返ってみますと、決して平坦な道のりを歩んできたわけではなかったそうであります。
 ケンカ、暴力、破壊、いじめなどの非行を重ねまして、母親が毎日の如く学校や警察へ行って、彼とともに事情聴取されたそうです。保護者として父親の代わりに厳しく彼を戒め、土下座しては警察にあやまり、少年院送致寸前で、誓約書とともに許されたと伝えられております。

 愛情が子供を変える──── 千代大海の場合
 彼はあるとき、母親の親としての本当の姿に涙を流しまして、自分の今までの非行の数々、その過ちを詫びまして、角界の門を叩いたのです。
 彼の言葉によりますと「母はテレビ観戦中、周囲も憚らず号泣して、私の姿を喜んでくれたということで、母親に恩返しができ、自分の人生で最高です」と語り、長い間迷惑と苦労をかけてきましたので、と言って、大分市内にマンションを購入してプレゼントしてと、ある雑誌の記事で述懐していました。
 なぜ彼が、このように百八十度の転換、変身をしまして衆目を浴び、押しも押されもせぬ名力士に成長したのでしょうか。それには彼自身が、これではいけない、これでは世の中にでたときに、落伍者になってしまうという心の入れ替えの努力もあったのではなかろうかと思います。
 自分が悪の道へ転落しようとしたときの、最後のその寸前に、大きな母親の深い愛情の叫び声が、彼の心を奮い起こし、救ったのではなかろうかと思います。
 母は自分のためにすべてを投げ打って、世間のどのような悪評もものともでず、自分のために親として、自分を救い、育ててくれたと述べております。その母の愛情が、相撲界にあらわれた大関千代大海の人生観を築き上げたのではなかろうかと思います。
 
 青少年の犯罪は甘えの産物
 第二番目に、今の子供を通じて思うことは、やはり家庭生活を通じて、辛抱、我慢、善悪の判断という三つを呼び起こすことが急務ではないでしょうか。
 若い世代における苦労のなかから築き上げていく強い意志と展望というものが、今の若い世代の人々にはかけているように思います。
 多様化した時代ですし、経済界も苦境ですが、他の国々と比較すれば非常に豊かな生活です。右を向いても左を向いてもお金を出せば獲得できる数々の品物。
 テレビ、ビデオ、雑誌などマスコミによる諸々の情報が導入され、できすぎた時代で、何一つ不足するものがありません。そのような時代に、今の若い人たちには、努力とか辛抱とか我慢とかいう言葉は、遠い昔の語り草のようで現実性がないかのように私は思います。
 その背景の産物としまして、暴力、万引き、窃盗、殺人等々の反社会的行動を起こす少年たちが激増しているのが、今日の実態でしょう。
 家に友達が遊びに来ますと、灰皿を子供部屋に運ぶお母さん。又、少年にビールをついでまわるお父さん。バイクを買ってくれないと、勉強や家の手伝いをしないと、自分の思いのままを要求する子供。果てには高額な小遣いをねだり、満たさなければ、万引きや窃盗まで発展していく。親に注意されたり怒られたりすると、すぐに器物を破損したり、親に暴力をふるう。そういう少年が非常に増えています。

 大切なのは幼児期の躾
 父母は親として、本当にこれでよいのかと、毅然とした態度で子供に立ち向かい,これ以上は許せないという指導の枠とか、親の権威を呼び起こしていただいて、その責任を果たす時代ではないでしょうか。
 一番大事なのは幼児期からの躾です。中学、高校くらいになりまして、自我の形成が始まる次期ですと、もう遅いんです。思春期、青年期では逆に少年のよき相談相手となり、将来や人生についての心の触れ合いが大事なのではないかと思います。
 子供は常に、親の背中を見つめて育つと言われています。
 学校でも一緒です。ですから若い先生にもそのことをよく言うんです。
 子供は幼児期から、言葉で表現できなくても、絶えず親のしぐさ、行動、姿勢と言うものを眺め続けています。親は決して間違えた行動は許されないんです。幼児期からの規律正しい躾と愛情あふれる親の姿と心が一番大切なのです。
 善悪の判断の識別ができる頃から、良いこと、悪いことを教えまして、良き言動には心から褒めてやりますし、悪い行動に対しては見逃すことなく、厳しい指導をしていくことが大事ではなかろうかと思います。

 基本的な生活習慣が身についているか
 アメリカでは、幼児期から少年期にかけて、きちんとした基本的な生活習慣ー学校へあがり、みんなと生活するためにーの指導が行われているといわれております。
 また思春期から青年期にかけては、親として、友達として、生き方とか悩みとか友人関係、将来ということについての相談相手として子供に理解を示しながらアドバイスをしていってやるということが行われており、これは大事なことだと思います。
 幼児期にあっては、どの親もそうかもしれませんが、自分がやった苦労は子供にさせたくないと考えて、可愛い可愛いという一念で躾も指導もできない。このことがやがて子供が人生という大海原に旅立ったとき、挫折し、問題行動に走っていくのではないかと思います。私が関係している、ある会では、お父さんお母さん方に躾ができない場合は、私が躾てよろしいですかという許可の元に、悪い子に対しては、体罰こそしませんが、ピッシ
と規律を保たせるようにします。
  
 大事なのは怒ったあと
 学校でも、こらっ、と頭を軽くたたくくらいのことは、先生としてはいいのではないかと思います。怪我をさせたり、子供に不愉快な思いをさせたりということは、もってのほかかもわかりませんが、その怒ったあとが一番大事なんではないかと思うんです。
 子供を呼びまして、「先生はなぜ怒ったか、なぜ叩かれたのかわかるかー君のことが憎かったら放っておくよ。やることは黙って見てるよ。でもなあ、こんな状態が続いたら、社会へ出ても、友達からも浮き上がってしまうだろう。先生は君が可愛いんだ。立派な者にして、この学園から出したいんだ。先生はその気持ちで怒ったんだ。この気持ちをわかってくれるか」と話すんです。このアフターケアが大事です。
 特に小学校、中学校の先生は、感情で子供を怒ってはいけません。やはり、この子のためだという気持ちは、相手も知っています。
 ですから、諭して指導していってやりますと、卒業の頃には「先生に怒られ、叩かれたけど、よかった。私はそれを契機に変わったんだ」といって、握手して巣立っていく生徒がおります。そういう部分も現在は欠けているのではなかろうかと思います。家庭でも学校でもそうではないでしょうか。

 命への思いやりを教える
 次は命の大切さ、他人へのいたわり、思いやりの心をいろいろと教え、養うことが大切です。
 長い間、淡路島の農業高校で教職に携わった関係上、日曜日ごとに子供を連れてきまして、植わっている花とか木、あるいは鶏やら豚やらの姿を見せまして、ときには温かい乳牛の乳房にも触れさせ、花が咲いている茎にも触らせる。そして命ある生き物の働きとか生命活動を会得させまして、自然界では生命のあるもの全てが、一生懸命に生き続けているんだということを教え諭してまいりました。
 美しい花を咲かせたり、美味しい果実を結実させたり、鶏が一生懸命に卵を生む姿を実際に見せ、人間も頑張ることで、世の中の人のために役立つんだという話をしてきました。
 自分の命を大切にすることはもちろんのことですが、他人の命の大切さ、他人への思いやり親切さを教えてきました。

 自分の子供を怒ったことがない
 私には三人の子供がおります。二人の息子と一人の娘がおるんですが、おかげさまで、三人とも公務員としてその職責を全うしてくれています。
 その姿の感謝しておりますが、長男は教育大学を卒業して、地元の小学校に教員として勤務しており、多様化した時代の子供達の教育に専念しております。
 また次男は大学卒業と同時に地元の市役所に勤めて頑張っております。
 長女は、女子大の英文科を出まして、地元の中学校の英語の教師として、勤めておりますが、特に英語が好きだったことこともあり、地元の方から、ホームステイの通訳の指導として、二回ほど渡米もしました。
 この三人の子供を育ててまいりまして、自慢できることがございます。それは、子供に対して、勉強しないといけない、こうしないといけないというように大声を出したり、叱ったり、争ったということが一度もないんです。
 妻は私と結婚するまで保母の仕事をしておりましたので、幼児のときより、基本的な生活習慣をしっかりと躾けてくれていたので、そのたまもにだと喜んでおります。

 自分で進路を決めていった子供たち
 私の家から200mくらいのところに、公立の高等学校がございまして、子供たち三人はそこにお世話になりました。親の影響を受けたのか、三人ともバレー部の選手でしたが、学校から帰りますと、体は大変疲れていても、「ただ今帰りました」と言うと同時に、自分の部屋でその日の学習とか大学入試に向けての勉強に取り組んでいました。
 お腹もすいているでしょうし、疲れて眠くなるのが普通ですが、まずは今日の出来事は今日しっかりと言うことで、机に向かっておりました。
 その姿勢が、今日の子供達の生き方として現れたのではないかと思い、親としては喜んでおります。学習塾に通うことは一切なかったと思います。また、行かせてくれという言葉もありませんでした。成績も上位にランクされているということを聞きまして、心配もしませんでした。
 進路も自分で決めていたようで、私は一切口をはさみませんでした。
 でも、ある日長男は、「お父さん、僕はお父さんのような先生になります。子供が好きだから、小学校の先生になります。教育大学を受験します」と相談してきました。
 次男は「僕は先生よりも市役所の職員になりたい。そのために法律の勉強をさせて」というようなことを申しておりました。
 長女は「私はお兄ちゃんと同じような先生になる。英語が好きだから英語の先生になる。バレーを生かすために中学校の先生になりたい」と言いました。三人ともその目標を持って頑張りなさいと、親として、子供の意志どおりの進路に、心密かに、拍手をし、祈念しておりました。

 ”いつまでも続くと思うな親と金”
 ”いつまでも続くと思うな親と金”ということについて次に述べてみたいと思います。 親と金、さらに友人と先生というものは、近くにあって自分を支え、協力してくれたり、指導してもらえる期間はそう長く続くものではありません。従ってお金は計画的に、有効に使用してことを、このような時代であればあるほど、家庭でしっかりとご指導願えたらと思います。特に浪費をやめて、自分が生きるための生活費とか、不時災難に備えての貯蓄、交際費、学習費、娯楽費等の計画性を子供に把握させることが大きな要件ではないでしょうか。
 従って、人間は最終的には、自分が自分を信じ、自分で計画し、的確な判断のもとで、実行していくしか方法がないんです。そのために、自分という人間を作り上げるために、毎日が勉強であり学習であることを教え、自覚させることが急務であると思います。
 自主独立の精神の涵養を目標として、友達と仲良くやっていける条件を構築していくことが大事です。全てのことを他人に頼るのでは、進歩がないということを生活の中で教えていくことが大事だと思います。
 
自分の得意を作らせる
 私は、今は学校でほとんど校務分掌を持っておりません。理科として、静物を10時間ほど持っているくらいですが、50分授業の中で、教壇に立ちましたときに、3分間、イントロダクションとして今日の生活目標ー今日はこんな目標で勉強しなさいよということをやります。
 ある時、今日の目標は、日本一の草履取りということを言いましたら、生徒はそれは何だとたずねてきたんです。
 そこで「豊臣秀吉が愛知の中村というところで生まれ、日吉丸という名でしたが、織田信長に仕えていて時、ある寒い日、日吉丸は、織田信長の草履を懐に入れ手、城から信長が戻るまで、じっと暖めていた。織田信長が戻ってきたときに、草履を差し出し信長が足を入れる。すると信長は”貴様主君の草履を尻に敷いたな”と怒った。そのとき、日吉丸は胸をぱっと開けて草履の跡を見せたところ、信長は将来大物になる侍だということで、取り立て、後に素晴らしい戦国の武将になった」ということを話し、先生が言いたいのは、誰もが大臣になったり政治家になったりするのは無理だが、それぞれが個性があるんだから、自分の一番得意とするもの、ある一つのことをやるにおいて、これは誰にも負けないぞという日本一の草履取りを目標にしようじゃないかと話すんです。これだけは負けない、というものを持っていると、社会へでてご飯が食べていけるんだぞと話をするんです。

 輪廻
人生は、回り回っての輪廻であるということ、他人の言葉を理解し、思いやり、いたわりの心を教育しないといけないのではなかろうかと思います。
 この世の中で、どれだけ素晴らしい能力を持っていても、自分一人では決して生活できません。多くの人たちとの係わり合い、連携の中で自分を見つめ、助け合い、支えあって、一人は多くの人々の一員として、多くの人々はその一人ひとりを生かすために生活しているんです。
 それゆえに人の立場、人へのいたわり、人への喜びや悲しみ、これらを自分のことのように理解して、生活していくことが人生を歩み上で大事ではなかろうかということを家庭で、学校で教えていかないといけないと思います。人の立場のわかる人は、自分も人から理解してもらえますし、支えてもらえる。
 私は子供や生徒に「神や仏は、人が人生を全うしたあの世の中にあると仏教では教えているけれど、先生はそうではなく、神や仏はこの世の中にあると思う」と力説してきました。
 現世において、世の中のため、人のためにいろいろと善行を行うと一歩一歩と神や仏に近づくことが出来るのではないか、決して死んでからのことではないんだということを話してまいりました。

 シロのこと
一匹の犬が学校におりまして、定まった飼い主もいませんので、私はいつも我が家の残飯を餌として毎朝与えておりました。非常に可愛くて、人なつっこく、学校でも生徒や職員にも人気のある犬に育ちました。でも、犬も誰が餌をくれているのか知っているので、私を格別に好いてくれていました。
 しかし、シロと名付けていたこの犬も3年足らずで、学校の温室の片隅で永遠の眠りについてしまいました。私はかわいそうに思いまして、竹藪の片隅に埋めて、線香をあげて手を合わせました。
 そうすると哀れなシロの泣き声が聞こえてくるかのようでした。
 それから数カ月ほど経った、寒い2月中旬だったと思いますが、私がバイク通勤の途中に気をつけなければと考えながら走っておりますと、一匹の大きなメス犬が左から右へ横切りましたので注意していましたところ、そのメスを追って、大きなオス犬が急に飛び出してきました。咄嗟にブレーキをかけたんですが、間に合いませんでした。ヘルメットもかぶり、防寒具もきて、制限速度で安全運転をしていましたが、バイクは一回転しまして、転倒しました。
 気が付きますと、私の体は大きなそのオス犬の腹部の真ん中を枕にしていました。犬をぱっと見ましたが、かわいそうに息を引き取っていました。ちょうど私が学校でかわいがっていたシロにも似ているようにも思えました。
 自分を振り返りますと、かすりきず一つしてませんし、打撲もしていません。不思議に思いました。犬が自分の身代わりをしてくれたんじゃないかと思いました。
 近所の人が先生は早く学校に行きなさい、犬が私たちが埋めておくからといってくれたんですが、私はその犬を学校の近くの、シロのそばに埋めてやりました。

 常に感謝の心を
こんな話をしますと、皆さんはそれは偶然じゃないかとおっしゃるんです。犬の恩返しはないよといわれる方も多いかもしれませんね。確かに偶然かもしれません。でも世の中で私たちは常識では判断できない、見に見えない幻のように巡ってくる輪廻が存在するのではないでしょうか。そんなことを子供達や生徒達に話してきました。
 さらに両親の恩、近隣社会の恩を忘れずに、常に感謝の心を持つということを今もう一度呼び起こしたいと思っています。
 今の社会で「恩」という活字また「ご恩」という言葉は、特に若い世代の方々にとって
派、遠い彼方での叫び声のようにしか聞こえないのではないでしょうか。やはり自分をこの地球上で生み、育んでくれ、骨肉を分かち合って生命の尊さを与えてくれた親。苦しいときも悲しい日々も嬉しい日も、生きる命と力を授けてくれた親に今一度「ありがとう」という感謝を、ご恩という言葉でなくても、呼び起こしてみたいなと思う一人でございます。
温かい目で、人生の先輩として、陰に陽に励まし、アドバイスを贈ってくれた近隣の方々にも、感謝の気持ちと心を忘れてはなりませんということを常に申しております。
 親の恩に報いるということは、金品を渡したり、いいものを買ってあげたり、それ以上に助力することよりも、もっと大切なことがあります。
 それは何かといえば、申すまでもなく、親に心配や苦労をかけないことです。
 これが子供が親に対して報いる唯一の手段です。今の時代にはピントこないかもしれません。鶴の恩返しではありませんが、これが人間としての恩返しではなかろうかと思います。
 それにも係わらず、数多くの問題が今日の社会には激増の一途をたどっておりますことは、大変悲しいことだと思います。

 家庭を見直そう
結びとして、いったいどうしていったらよいのかということをお話ししていきたいと思います。
 心の教育を、もう一度家庭で見直そうじゃないかということ。
 まず第一に家庭のあり方を問い直そうということですが、一つは思いやりのある明るく円満な家庭が大切であるということです。長い人生のことですから夫婦で意見がぶつかることもあるでしょうが、子供の前では喧嘩をしてはいけないということ、子供、親揃って円満な雰囲気作りというのは、子供の心を豊かに育てる原点ではないかと思います。
 もう一つ派、家庭内の会話を増やしていこうということ。小さいときから「おはよう」「行ってきます」「ただいま」という気持ちを、今の子が忘れているんです。特に若いお母さんの場合も。ですから、自分と関係ない人になんで挨拶なんかしなくてはいけないのと思っている若いお母さんの再教育をしないといけないなあと思います。
 もう一つは、家族一緒の食事をするということで、特に、親やおじいちゃん、おばあちゃんが作ってくれた食事には愛情があります。インスタントのものと違い、手間をかけて煮付けてくれた魚や野菜には愛情が入っています。そういうものに感謝しながら食事をしなければいけないと思います。
そして行き過ぎた干渉はやめるということ。過保護、甘やかし過ぎはやめる。絶対に避けていきたいということです。

 善悪の判断、けじめをつけるということ
 次に大きなこととして、善悪の判断とけじめをしっかりつけさせるということです。
 やってはいけないことや間違った行為は、親として先生として、しっかりと正していかないといけないということです。
 警察の方々と話をしていますと、万引きというものは、昔は、ひょいと出来心といいますか、生活が苦しかったりとかいろいろと同情すべき条件があったそうですが、今はそうではなく、ショッピングセンターやデパートで盗ってきたものを、仲間に自分はこんなものを盗ってきた、「いろんなものがあるからあんたもいっといで」「それじゃいこうか」という一つのゲームだというんです。
 悪いという考えがないんだそうです。警察の人がこんなことをしてはいけないというと、自分だけじゃない、あの子もこの子もやっているんだから、とすまないとか悪かったという気持ちは毛頭ないということです。
 やはり親自身が、自分さえ良ければという考えをやめ、しっかりしたルールを子供に身につけさせるということ。もう一つは子供自身に、自分の責任を気づかせてやって欲しいということです。
 自分たちの自立の遅れ、自己中心的な行動の背景には、自己責任の考え方の欠如があります。たとえば家庭では勉強部屋をちゃんと用意していると思いますが、そこは親やおじいちゃん、おばあちゃんが掃除をするのではなく、きちんと自分で掃除をさせる。
 家庭の人にあまり負担をかけずに、ときには、これしてあれしてと家事を手伝わせることも大事なことだと思います。
 
 ただ強いだけでは・・・
学校ではクラブ活動が行われています。私どもの学校のバレー部は県下の私学では強いほうなんですが、バレーやテニスやサッカーや陸上もやったりしていますが、ときどき部室を見ます。部屋が汚れて散々です。
 若い先生や子供たちに、どれだけ優秀な成績を残しても、こんな状態では駄目だ、どんなに成績がよくても、これじゃ成績はすごく割り引かねばならないと言うんです。
 若い先生には「バレーだけ強い、テニスだけ強くなるということだったら、別にそういう専門家を呼んできたらいいんです。あなたは先生でしょう。このクラブ活動を通じて、子供達の心を育てなければならない。たとえ成績が二位であっても、心が大事なんだ」と。その方が教育にプラスだ、子供の心がちゃんとできる,と話をしております。
 
 思いやりの心を持たせる
 もう一つ、思いやりの心を育てていこうということも大事なことです。
 何はともあれ、今日自分があるのは、自分一人の力ではありませんよ、お父さん、お母さん、兄弟姉妹の力。さらにそれよりもおじいちゃん、おばあちゃんの力、それが大きなことなんですよということを、いろいろな機会を通じて教えてあげることが大事です。
 それから手助けの必要の人を思いやることが挙げられます。高齢者や障害者の方が手助けを必要とする場合は、人間として手助けをするのが大切な行為であるということをしっかりと教え諭す。
 自分が費やしたエネルギーは、必ず自分に返ってきますよということ、それを教えることが大事だと思います。
 うちの学校でも、二、三人は東大に入る子もおりますが、今の子は本を読むことをしません。みんなマスコミなどのメディアから、目に入ってくる情報です。だから読むことが少ないんです。ですから幼児期からいろいろな本を、お父さん、お母さんが読み聞かせて、その本の中の人物に感動させたりして吸収させていくことも大事だと思います。
 
 夢を与え、希望を持たせる
 さて、次は子供の個性を大切にし、未来に希望を持たせていくようにすることです。
 大事な点は、知能、偏差値成績の順位にとらわれないで、たとえ勉強が出来なくても、子供の長所をしっかり褒めてやって欲しいのです。これだけ一生懸命やっているんだから、それでいい。英語や数学は出来なくても、ここのところが素晴らしいから、それを伸ばしていこうーこういう気持ちを親も先生も持たなければいけません。
 将来の夢と希望について話し合うことも大切です。中学生から高校生になりますと、女の子は特に悩みます。
 はたして自分は、社会にでてうまくやっていけるのか、みんなと仲良くできるだろうかと悩みを抱くのです。友人関係についても悩みます。そのときに、親として、的確な夢と希望を与えていくことが非常に大事ではなかろうかと思います。
 子供が親を頼って相談する折に、それはわからない、知らないでは大変です。つまり親が勉強しなければいけません。勉強しないと、子供はどんどんと情報を家に持って帰って、親にああだこうだと言います。それについていかなければ、うちのお父さん、お母さんはあかんとなります。これではいけません。私も自分自身に言い聞かせながら、若い先生に、年がいけばいくほど勉強しなければ駄目だ、教職について3年間が勝負だぞ。3年であなたの将来が決まるぞという話をします。
 先生は、英語や数学や物理、化学という専門教科については非常に強いですが、しかし、日常の世間の状況とか人間関係には非常に弱いのです。もっともっと勉強をしなければなりませんね、先生もご家庭の両親も一緒ではないかと思います。

 テレビは時間を限って
 それからテレビの問題です。
 無制限にテレビにひたらせない。学校から帰ってきて、勉強もしないで、テレビやビデオに没頭している子が増えています。
 しかし、まずは、やるべきことをやるという指導をしなければなりません。テレビとかビデオというものに関しましては、特に時間をもうけることにして、それまでの仕事をしっかりと把握させることが大事ではなかろうかと思います。
 特に高校生、私のところの学校のように普通科の生徒ですと。3年生になってからマナーとかいっても遅いということを生徒にいいますと、そんなこといっても本屋に行って、いろんなことを読んだらわかるというようなことを言います。
 しかし、読むだけでわかるというものでもありませんね。それから、日常、NHKのニュースは1時間は見ておきなさいよという指導もいたしますが、やはり、テレビにひたらすことがないように、特に小学生からの指導、教育が大事ではなかろうかと思います。
 
 遊びから多くを学ぶ
 最後は、遊びの重要性を再認識しようということです。
 今は、塾、塾、塾で、頭の中は勉強でいっぱいになってしまい、人間的な余裕があまりないわけです。ですから、遊び時間ー友達と遊ぶことも大事ですから、そういうことも指導として大切ではなかろうかと思います。自然の中でいろんなものに触れさせまして、その中から心の豊かさを創造していくわけです。
 小学校では、この頃自然学級というのがありまして、カリキュラムの中に、学年別・学級別に先生の引率で自然と触れ合うこともしています。また、中学校では体験学習というもにがありまして、お店や小さな企業に何週間かお世話になって、その間、先生も指導にいくわけです。
 昔は、田舎ですと小学校に通うときに、1年生から6年生まで揃って登校しまして、変なことをしていると上級生に怒られる。縦割りの教育の中でやっていいこと、悪いことをみんな教えてもらったわけです。ところがこの頃の子はそうでない。下の子や上の子とはほとんど遊びません。
 
 子供に余裕を与える
 そして、また偏った早期教育を考え直してはどうか、ということです。
 小さい時分から、学習塾に通わせて、知育教育に力を入れる親が多いわけですが、あまり小さいときから、ピアノ、算盤、学習塾で、帰ってきてからのメニューがいっぱいでは、心の余裕がありませんね。そうはいっても日本の社会構造が知育一本で、偉い人になるためにはちゃんと勉強をしなくてはいけないことになっている、ということも言われますが、何はともあれ子供はそれぞれの顔が違うように個性も違います。一人ひとりはいいところを持っています。それを早く見抜いて、子供の個性を尊重して育てていくということが大事ではなかろうかと思います。
                                         End