国際山岳年にあたって

田部井 淳子

 

今年2002年は国際山岳年です。記憶されている方も多いかと思いますが1992年6月、ブラジルのリオデジャネイロで国連会議(地球サミット)が開催され21世紀の地球環境の保全と再生を目指す行動計画「アジェンダ21」が採択されました。

その十三章に山岳環境保護を目指す内容があります。自然は実に脆弱な生態系であります。持続可能な山岳開発を考えねばならない。温暖化が進みもろくなってきている自然を人間の力で守ろうという趣旨です。1998年の国連総会で、地球サミット十周年にあたる今年2002年を国際山岳年として国連が定めたものです。スローガンは(We are all mountain people)です。各国で委員会が作られました。

日本は国土の64%が山々や森林におおわれた山国で山の恵みをたくさんいただいて生活しているのに委員会がないのはおかしい、と有識者の方々からも声があがり日本にある山岳団体やガイド組合、そして生体や植物学、地質学などを専門としている学者の方々と一緒に国際山岳年日本委員会が出来、なんと私はその委員長にと指名されてしまいました。長い間山に登ってきたのだから今後は登るばかりでなく山がもたらす意義についても考えなさいよというご指摘かと思い引き受けることになりました。地理・森林・民俗学などの学術界と登山界が一緒に行動を起こすのは初めてのことです。今まで国連大学で1月31日に開催されたパブリックフォーラム「山と私たち」を皮切りに、今まで国連大学で1月31日に開催されたパブリックフォーラム「山と私たち」を皮切りに、今まで国連大学で1月31日に開催されたパブリックフォーラム「山と私たち」を皮切りに、4月には東京で7月には富士山と大雪山、11月には大阪を舞台にさまざまな企画が行われます。

山々は上・下流域を問わず農村や都市に住むすべての人々の生活の基本となる「水」や「食料」の資源を提供してくれています。日本ではあまりにも身近に里山があるためにその重要性について少しおろそかにしすぎていないかをもう一度見つめなおす年にしたいと思っています。

が、一方登山界でも国際山岳年を意識したわけでもないのでしょうが、世界最高峰へ日本人の女性が最高齢での登頂を果たしました。渡辺玉枝さん(63)は私の最高のパートナーでここ五、六年毎年一緒に天山山脈の最高峰ポベーダ(7439m)、ペルーアンデス最高峰のワスカラン(6768m)やムスターグ・アタ(7546m)などの高峰に登っておりました。五十歳をすぎてから8000m峰へ向かった玉枝さんは体力・精神力も今が一番あふれている時なので63歳でエベレストに登られたことに一般の人は驚いたかもしれませんが私は「当然」という思いがありました。しかも1975年に私たちが登った日と同じ5月16日の登頂ということに私は心から嬉しく思いました。

75年はたまたま「国際婦人年」でした。私たちはそんなことはまったく知らずに出かけたのですが女性初登頂がその象徴のように受けとられ実にとまどったことを憶えています。玉枝さんの登頂はその日のうちに日本に伝えられ同日の新聞に掲載されるという通信のスピードも驚きです。1980年代は登山隊がベースキャンプにファックスを持ち込むようになり、その日のうちに上部キャンプやベースキャンプでの隊員の行動や天気・夕食のメニューまでも翌日の新聞で読めることになり私は驚くより少しがっかりしました。はるかなるヒマラヤからの便りは少し時間がかかった方がいいと思うからです。1998年のガッシャブルムU峰遠征の時は、NHKの報道の方も同行しベースキャンプにパラボラアンテナが立てられ、インターネットで天気予報もキャッチできることに便利なものだと感心しました。が、なんとNHKの方の転属の連絡まで入るのにもびっくりしました。夕食の時に「実はボク、6月2日付で岡山に転勤になりました。」と言われて一瞬全員がポカンとしたことも忘れられないです。

1975年の私達の登頂の知らせはベースキャンプに待機しているメールランナー(当時登山隊は必ず二名雇うことになっていました)の一人19歳のゼッタ君がこれまたベースキャンプに必ず政府から派遣される連絡将校より「エベレスト日本女子登山隊は5月16日登頂に成功した」という手紙を渡され、「いいか村人になに事かときかれても決して開けてはいけない」と注意を受け私達の足なら7日はかかる軍の無線のある所まで彼は3日で走り切りカトマンズの登山局へ連絡。そこから全世界にニュースが流れるというシステムでどんなに早くとも登頂4、5日でないとニュースは伝わらなかったのです。またゼッタ君は私書箱に届いている日本からの手紙をザックに入れベースキャンプまで走ってくる。遠征中の隊員の一番の楽しみはこの日本からの便りでした。まだ三歳だった娘が書いた絵と夫からの手紙、友人からの励まし、知人やご近所の人からの手紙が今では私の宝です。

                                 終わり