仕事に生かす話し言葉―敬語編― 第1回「人をもてなす言葉」 NHK放送研修センター日本語センター顧問 河治勝
「もてなしの」のことばとは 「○○さま、今日はようこそおいでくださいました。お待ち申し上げておりました。十分なおもてなしも出来ませんが、どうぞごゆっくりおくろつぎください」 「もてなし」のことばは、人を遇する最高のことばです。聞き手は、いかに自分が遇されているかを一瞬にして知り、相手とその場の空気に心を解放していくことが出来ます。 東京で著名なフランス料理店を経営する、三国清三氏は「レストランとお客様は一期一会。つねに初めで最後のもてなしの気持ちで迎えている」と話します。たとえリピーターであっても、初めての出会いとして遇するのだという意味です。そこで緊張感と真剣さと努力が生まれます。おのずとお客様に接することばも、思いのこもった手厚いものになるのが当然で、そのとき「敬語」がもてなしの役目を果たします。 郵便局と一流レストランとは一緒にならないと言われそうです。でもそうでしょうか。私は三国清三氏のことばをそのまま地で行くような局員の方を、小さい郵便局で何人も見ています。そのことばや態度から、人とのかかわりを大切にしようとする気持ちや、仕事への情熱を感じます。この郵便局へ来てよかったなと思いながら、おおげさでなく、一流レストランのもてなしにも似た気持ちの良さを味わっているのです。 それでは具体的な例をあげて、どんなことばが人をもてなすことになるのかを考えてみましょう。 「もてなし」は「信頼」に通じる あなたはお客様に聞くとき、つぎのどのことばを使いますか? 『印鑑』 @─ありますか A─持ってます? B─持ってますか C─を持っていますか D─お持ちですか E─を持っていらっしゃいますか F─をお持ちになっていますか G─をお持ちでいらっしゃいますか H─をお持ちになっていらっしゃいますか ・ @からCはいわゆる丁寧語です。 ・ Dからが尊敬語で丁寧語より敬語度がぐんと高くなります。 ・ 「お」が動詞の前につくと丁寧さが強調されます。 ・ 尊敬語の中でも、番号があとになるほど敬語のグレードがあがります。あとのほうがセンテンスが長いのは、敬語が複数使われているからです。センテンスが長いほうが丁寧に聞こえるのはそのためです。 ・ 『印鑑』のあとに、助詞の「を」があるほうが丁寧に聞こえます。主語をはっきりと立てているからです。 さて、言われる立場からすれば丁寧語に越したことはありません。自分が大事に扱われたように感じます。相手の立場に立つことば、それがすでに「もてなす」ことばです。 つぎからつぎへとさばいていく仕事の場合、長いことばはつい面倒になるものです。「印鑑持ってます?」「葉書何枚ですか」という短いことばが聞こえてきます。 しかしむずかしいもので、一枚の切手を扱う場合も「50円です、はいどうも」ではお客様の気持ちは納得していないのです。 たいして時間がかかるわけではありません。「印鑑をお持ちになっていますか」「葉書は何枚差し上げましょうか」「では、50円切手を一枚です。ありがとうございました」と言うことで、お客様の信頼に満ちた表情に出会えれば、お互いが嬉しい気分になれることは請け合いです。 「相手の顔を見て話す」応対 必ずしも郵便局の窓口の対応とは言えませんが比較的よく聞く窓口の応対のことばをいくつかあげてみましょう。 イ:「つぎの方お待たせしました、何でしょうか」 ロ:「いま調べていますからちょっとお待ちください」 ハ:「すいません、順番にやっていますからお並びください」 ニ:「そこの番号札を取ってお待ちください」 ホ:「はい、こちらで出しておきますから」 ヘ:「いま担当がおりませんので私がお伺いします」 ト:「いつもお宅へ伺っているのはだれですか」 チ:「そこにパンフレットがありますからお読みください」 リ:「速達ですか、書留にしますか」 ヌ:「その件は、ここではなく本局で扱っていますからあっちへ行ってください」 ル:すみませんがもう終了しましたので、明日おいでください いずれも窓口の対応としておかしくない表現です。窓口の応対もビジネスですから、ことばには簡潔性が求められます。慇懃無礼に聞こえるような回りくどい敬語では困ります。その点、この対応は簡潔さも満たしていると言えます。しかしビジネスだからと割り切ってかかると、「もてなし」の心が脱落してしまいます。 つぎの応対のことばを前の例と比べてみてください。 イ:「つぎにお待ちの方、お待たせいたしました、ご用を承ります」 ロ:「ただいま調べておりますので、恐れ入りますがもうしばらくお待ちください」 ハ:「申し訳ありません、先にお待ちのお客様がいらっしゃいますので、そのあとへお並びになってください」 ニ:「ご面倒でも、そちらの番号札をお取りになって順番をお待ちください」 ホ:「確かにお預かりしました、こちらでお出ししておきます」 ヘ:「あいにく担当の者が席を空けております。わたくしが代わりにお伺いいたしますが」 ト:「いつも○○様のお宅へお伺いしているのは、わたくしどもの誰でしょうか」 チ:「そちらにパンフレットが置いてあります。お読みになって分からないところがあればお尋ねください」 リ:「速達でよろしいですか、それとも書留になさいますか」 ヌ:「申し訳ありません。それはこの郵便局では扱えません。本局の○○の窓口で扱っておりますので、ご面倒ですが本局へおいでになってください」 ル:「申し訳ありませんが今日は終了いたしました。明日は朝9時から営業しますのでよろしくお願いいたします」 相手が気持ちよく受け入れることの出来る敬語表現をたくさん使っています。たんに 気持ちがよいだけでなく、自然にその人への「信頼感」が湧いてくるから不思議です。丁寧な分だけ前者よりセンテンスが長くなっていますが、簡潔さも十分に持っています。 双方を比べると、前者はほかのことをしながらでも言えそうなことばです。 しかし、後者は明らかに相手の顔をきちんと見ながら話していることばです。顔を見ているからこそ言えることばで、それが、人を「もてなす」ための態度とことば(敬語)なのです。 私が素敵な対応だと思った局員の方は、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の送迎のことばはもちろんのこと、すべての対応に惜しみなく敬語表現を使っていました。小さい郵便局であっても気持ちよく人をもてなそうとすることばは、聞く方も敏感にキャッチしているものです。過剰に丁寧である必要はまったくありません。むしろ、いつものことばのほんの一歩先に、人を遇する応対の表現があるのだと思います。 人をもてなすとは、本来爽やかな行為です。ことばと行動で、話し手の気持ちが爽やかに伝われば文句なしです。その時の敬語は、使う人の想像以上に聞く人の心を温かくしているはずです。 (つづく) |