仕事に生かす話しことば−敬語編−

第6回(最終回)「親しさの条件」

河路 勝

「親しさ」と「馴れ馴れしさ」の違い

郵便営業とは、お客様に郵便局のサービスを理解した上で利用してもらい、満足してもらう活動です。そのためにはいろいろな工夫が必要ということになります。ぜひその中に、親しみ深く、そして信頼のおける話しことばを加えてほしいものです。こんな経験がときおりあります。さまざまな種類の訪問営業を受けたとき、何とか自分の土俵に引き込みたいという気持ちが先立つからなのでしょうか、いささか押しつけがましいことばが出てくることがあります。

「こんな有利な商品を見逃すのは損というものですよ」

「わたしもこの保険に入っていますが、これはずいぶん得ですよ」

「何とか今日中に決めてもらえませんかねぇ」

「ああそうですか、それじゃ明日また来ますから、それまでに何とかお願いします」

商品知識が豊富な営業マンとしては、いくら説明しても理解が遅く、また、なかなか煮え切らない相手がもどかしくなるのでしょう、いつの間にか強引な説得口調になったり、時間の制約を設けて相手の気持ちを追い込んだりしていることがあるものです。とくに勧誘する場合はいきおい喋りすぎになります。饒舌だから情報の伝え方も散漫であり、そして例外なく敬語はおろそかになっています。

何回も通っているうちにお互いに親しみが生まれると、いつまでも他人行儀に敬語を並べて話すよりも、ざっくばらんなことばの方が、かえって本音が引き出せていい結果が期待できるというのも間違いのないことと思います。

お客様と親しくなることはもちろん大切で、親しさが増せば、ことば遣いもおのずと砕けたものになるのが自然です。ただ人にはそれぞれ距離感の違いがあり、親しさの感じ方も異なります。したがって、親しさの表し方にもおのずとけじめがあるべきで、馴れ馴れしい印象を与えたのでは、好感の持たれる話し方とは言えません。

親しさにも「けじめ」がある

訪問を受けて説明を聞いた折、私の呼び方が「○○様」のフルネームからやがて「ご主人さん」になり「旦那さん」へと変化したことがありました。どう呼ばれてもいいのですが、あまりコロコロと変わるのは口から出まかせのようで、親しさより、馴れ馴れしさやそらぞらしさを感じてしまいます。商品を購入したり契約したあとに後悔する気持ちを抱かせたとしたら、勧める側の話し方にも原因の一つがあると考えていいように思います。

ところで、これからの日本語のあり方を検討している国語審議会が今年9月に、従来の敬語の枠を広げ手、「敬語表現」という新しい枠を示しました。「ありがとう」「すみませんが」「悪いけど」「〜してくれない」など、相手に配慮することばであっても敬語には組み入れていなかったことばを、敬語と同じ目的を持つ表現として位置づけようというものです。これによって、敬語を身近なものに感じるという効果が期待されます。今後学校教育の中でも、相手の立場や気持ちを考え、なるべく相手に配慮することばを使うよう指導していくことが可能になります。

ただし、誰にでもこのことばでよいというのではなく、親しい間柄とそうでない間柄とでは、配慮することばを使い分けることが必要だともしているのです。それでは親しいお客様とはどう話したらいいのか、「ありがとう」「悪いけど」「〜してくれない」ということばで通用するのかと考えると、親しさの中にも筋の通った表現が必要であることは、おのずと理解されると思うのです。

「いまの商品の中ではとくに条件がいいと考えてお勧めしているのですが」

「いま加入されるとお得な条件がプラスされることはたしかです」

「いかがでしょう、今日お決めになることは出来ますでしょうか」

「わたくしのほうの都合で申し訳ありませんが、明日お伺いしてもよろしいですか」

つねに相手に判断を任せる気持ちが、きちんとした敬語による話し方となって表れます。親近感とともに好感の持てることばがほしいものです。

「親しさ」と「信頼のあることば(敬語)」は調和する

親しさの中にもけじめのあることばとは、どんな意識をもとに考えたらいいのでしょう。みなさんの実践の職場を離れたところで見てみます。

以下は、間もなく医療の現場に出ていく看護婦の実習生たちに、「看護と敬語」について意見を聞いたものです。彼女たちは、すでに実習を通して、お年寄りや重度の患者の看護を経験していて、看護の場でのことばの使い方にも強い関心を持っています。

     患者との間が親しくなると、知らないうちにことばがぞんざいになっている。「きょう具合どう?」「なに?痛いの、ちょっと待っててね」・・・先輩看護婦のことばを聞いていても友達感覚の喋り方が多い。子どもやお年寄りに「赤ちゃんことば」を平気で使ったり、重度の患者にも子どもを扱うようなことばを使ったりしている。親しさを強調するためかもしれないが、結果は相手を弱者とみなして接していることにならないだろうか。親しさがいつしか見下ろす態度になって現れているとしたら、それを不快に感じている患者の家族もいるはずだ。

     患者との友達感覚は、いい加減な話し方が多くなって、情報の伝え方がおろそかになり、事故を引き起こす原因になりかねない。患者に、看護婦に対する不安感を抱かせてしまう。

     実際にあるトラブルが生じたときに、先輩看護婦が、患者にきちんとした敬語を使って丁寧かつ的確に説明したのを聞き、ことばの大切さを知ることが出来た。また心のこもった敬語と笑顔で話す先輩に、患者が心から頼りにしている場にも出会い、ことばの与える信頼感が、病の癒しになることを実感した。

     親しさの中にも、患者の人格を尊重することばがあって、はじめて信頼関係が作れると思う。患者を人として立てる言い方をすべきで、敬語はその信頼関係を作るための大切なことばではないか。     [NHK出版『敬語レッスン』より]

長い引用になりましたが、この中には、家族や友達と話すときとは異なる、他者への親しさの表し方のヒントがあるように思います。敬語を、真に親しさのある間柄を作るために使うべきことばとしてとらえておきたいものです。

北海道や伊豆の観光所で出張販売している郵便局の若い人たちから、ふるさと絵はがきや切手を買ったことが何度かあります。東京の冬の寒空の下、街頭で手をこすりながら売っている人たちからも求めました。どの人も、笑顔で一生懸命に、丁寧なことばで応対し、爽やかな印象を与えてくれました。ふとどこかで見た、「郵便局はもっとも身近なところにある国の窓口」というキャッチフレーズを思い出します。たしかに人々の生活の一番近いところで仕事をしているのですから、みなさんにも、ぜひ親しさと信頼の持てることばでいつも接してほしいと願っています。

                          (敬語編終了)