「孝行息子」批判試論

北村 節子

最近、身近に「会社辞めます」という中高年が多い。定年にはまだ間があるのに、もう会社人間から足を洗いたい、というのである。

当人は別に病身だというわけでもなく、けっこう元気だったりする。で、辞めてなにをするのか。「親の面倒を見るのさ」。続けて二人、そういう例があった。念のために申し添えるなら、二人とも、仕事のできるいい感じの男性である。いずれも、体が不自由になった郷里の親の家に帰り、介護にあたる、という。しかも一人は妻の親のためであり、一人は妻をその実家の親のもとに送り出し、自分は自分自身の親を看る、という構えなのだ。年金受給年齢までの数年は、これまでの蓄えで食いつなぐという。

「ま、田舎で暮らせば、そんなに金はかかんないよ」というのが彼らの共通の経済見通しであるらしい。

周囲の評判は悪くない。おおむね、「えらいよね。普通、なかなかできないよ」という論調だ。たしかに彼らの誠実な人柄から、きっとよい看護人、よい地域住民になることだろう。よくある、「自分はこれまでどおり仕事をして、妻をまるで家政婦さんのように自分の(妻にとっては義理の)親のもとに派遣する」タイプに比べれば、妻の立場に配慮した決断でもある。

私自身の胸に聞いてみれば、「えらい」と思うと同時に「うらやましい」という感情もある。やるべきことはやった、あとは心置きなく親を看て、故郷の山河で気心知れた友達と交流しようというのである。さらに言うなら、家宅は親のものを使えばよろしい。多くの場合、都会のせせこましいマンションよりは広々と天井も高く、庭もあって家庭菜園くらいは楽しめるのではないか。いいなあ。

しかし、同時に「待てよ」という思いもぬぐえない。本当にいいのかな。

このところ、少子高齢化社会への移行速度は目を見張るばかりだ。人口構成、つまり「養う側」と「養われる側」の比率は劇的に変わり、「少人数の若い者」が「大勢の年寄り」を支える構造にと変わりつつある。介護に専念する、ということは、一見、年寄りを支える最前線に立つことだが、実は「養う側」から「いち、抜けた」と、「養われる側」に移る事でもある。

まず、相当の年間所得がなくなる。つまり、彼らは納税者ではなくなるわけだ。百八十日間はいわゆる、失業手当を受ける。これはもう、立派に「支えられる側」と言っていいだろう。さらに、「孝行息子」となって、無休でかいがいしく親の面倒を見れば、もしかしたら、介護保険に携わるヘルパーさんたちの就業の機会を奪う場面もあるかもしれない。

人口学の世界では、十五歳以上、六十五歳未満を「生産年齢」と呼び、それ以外を「従属年齢」と呼ぶ。露骨な言い方だが、この表現を借りれば、彼らは生産年齢にありながら、従属年齢的な生活に入るというわけだ。税金を納める側から、使う側に移るのである。「支えられる側」が増えすぎて、「支える側」が減っている、という嘆き節がいたるところで聞かれる今、彼らの決断は「えらいよね」とばかり、評価してもいられないのではないか。

もちろん、だからといって「さあ、親をほったらかしても働きなさい」と言うわけではない。職に就けない若い人も多いことを考えれば、いつまでも終身雇用の席にしがみつくのも考えものだ。しかし、フルに働くか、さもなければ退職という、「オール・オア・ナッシング」という選択はちょっとさびしい。

「自分で自分を養えるくらいには働く。しかし、心行くまで親の面倒も見る」といった働き方は許されないものか。多くの人が短時間労働に就くことで、失業を減らし、その結果、国家の支出を倹約することに成功した、というオランダの試みなどが聞こえてくるにつれ、この年代を中心に、そんな働き方がどうにか実現できないものか、と考える。

すぐれた職業人であった彼らが、いい仕事をしながら「もう、こんなにあくせく働くのにはくたびれたしなあ」とつぶやいていたのも知っているだけに、彼らをいきなり、「社会の被扶養者」に送り込んでしまうのは、残念な気がするのだ。

                               終わり