高齢化社会を生きる

                              元福岡市助役 医学博士 加藤竺子

一億不安症候群?
二十一世紀になるのに未来が見えない。見通しができない。色々なことを準備してきたにもかかわらず、神話と申しましょうか、色々なことが崩れていってしまい、これでよかったのかな、二十一世紀に、私たちは元気でやっていけるのかなと不安がありますよね。私はそれぞれの方がそれぞれのお立場で、言うならば、一億不安症候群にかかっているのではないかと思うんですね。
揺らいだ過去の価値観
若い人たちは自分は終身雇用なんてあり得ない、自分で生きていかなければならない。土地を買っておけば良かろうと思って買った人たちは、バブルで崩壊したり、預金をしておけばいいと思っていた人は、預金の利息では食べられない。年金があればいいと思ったら年金は減る。あるいは、介護保険の保険料を払わなければならない。一部負担があるとかね。これでいいと思ってやってきた色々なことが崩れてしまった。
しかも人間までおかしくなってしまった。子ども達が親の言うことを聴いてちゃんと親を看てくれると思っていたら、けっしてそうでもない。親を殺すような子供たちも出てきている日本の状態。まさに、こういう状態の時に一体どうしたらいいのだろうかというのが、現在の私たちみんなの不安ではないかと思っております。
高齢社会の到来・センチュリストへの道
そういう中で、確実に二十一世紀の日本に訪れることは、高齢社会ですね。世界一の長寿国になるであろうということは、はっきりと推計に出ております。日本が長生きできる社会であるということは私は素晴らしいことだと思いますが、いい意味での素晴らしさでなければならないと思うのです。
9月15日は敬老の日でございますね。その時に、百歳の人は・・・私たちは、百年生きたという意味でセンチュリストと呼ぶのですね。一世紀ですからね・・・何人いらっしゃったと思われますか。実は一万三千三十六人もいらっしゃったんですよ。これは、大変なことで、少なくとも三十年前は、三百十人しかいらっしゃらなかったのが三十年で四十倍となったわけですね。
たいへん話題になりました金さん、銀さんをはじめとして、百歳を越えた方が、ひんぱんに個人的にテレビに出るようになって、身近になりました。確かに高齢者の方々が多くなってきたというのが現実ですね。
私のイメージの中には、高齢者というと、背中の曲がった祖母や、お墓参りの時によぼよぼ歩いている祖父の姿があるのですが、今の百歳の方は矍鑠としている。もう、欽ちゃんの番組だとか小朝さんの番組なんかには、補聴器も使わないで一人で出てきて、パッと反応しているセンチュリストをみるをとすごいなーと思います。これは優等生だと思います。
じゃあそんな人ばかりかというと必ずしもそうじゃない。日本の高齢者は世界一の長寿ですね。平均寿命が男性は七十七歳、女性は八十四歳ですね。これは冠たる世界一なんですけれど、日本はみんな元気な年寄りかというと、そうではない。私も、今、先ほどご紹介のようにケアハウスなどのお世話や、ボケの方のグループホームのお世話しておりますが、そういうところを見ますと、寝たきりの方や要介護者、痴呆の方がかなり多いんですね。
外国の高齢者は?
私は、外国のほうに、色々なところに視察に行きますが、福祉先進国では高齢者が自分で自立して、きちっと背を伸ばして生きていらっしゃる。スウェーデンで九十六歳の方にお会いしたとき、その人は一人で何でもやっていらっしゃる。それで「あなたは、ちょきんどのくらいありすか」と聴きましたら、「百万円もない」というんですよ。にもかかわらず、何の心配もない。そして、「子供たちには頼らない私は私の人生だ」とやっている。「選挙に行きますか」と聴きましたら「もちろん、自分たちの国は、自分たちの選挙で決める」とかいう、勢いのいい返事が返ってきました。九十六歳ですよ。それに比べると、日本はちょっと異常だと思います。
高齢社会の急速な到来こそが問題
65歳以上の人を高齢者といっていますが、65歳以上の人が総人口に何%しめるかというのが一つの基準で、7%を越したときに高齢化社会というんですね。そして、14%を越したときには高齢社会といいます。日本では、なぜ高齢問題、福祉問題が起きているかというと、日本の場合はあまりにも急速に高齢社会となったからということなんですね。日本は1970年に、やっと、7%(高齢化社会)になったにもかかわらず、1994年に14%を越したんです。と、いうことは僅か24年間で、高齢社会になってしまったんです。ところが、フランスなどは百四十年くらいかかって、じわじわと高齢社会になった。スウェーデンが82年くらい、イギリス45年くらいかかっています。そのように、日本の何倍もかかって高齢社会になったんです。ですから、住んでいる人の心構えだとか、設備だとか、仕組み、あるいは雇用関係など、全部がそれに従って準備ができている。みなさんが、福祉問題でスウェーデンなど北欧に見学に行かれると、地域の人たちが、みんなそういうような心構えで接しているから、高齢者の扱い方が違うのが判るんです。
還暦ってなに?の時代
先ほど、平均寿命を言いましたが昭和22年の頃の日本は、男性が50歳、女性は54歳でしたから、50年間に、急に変わってしまったということです。当時は人生五十年でよかった。でも、今は、みなさま方の意識の中では、何となく、いつの間にか五十を超したという感じでしかなくなってしまったのではないでしょうか。昔は五十を超すのは大変なことでした。
だから、還暦などといってお祝いをしたんですね。今時は、還暦のお祝いなんて、あまりなさらなくなってきたでしょう。「還暦を羨むような年になり」という句がありますが、還暦などはまだまだ、喜寿でやっとという感じで、傘寿だとか、米寿だとか、白寿など、目標が高くなってきました。人生八十年が当たり前の時代ですね。これからは九十年になるかもしれません。
そういう時代であるにもかかわらず、仕組みができてないからなんとなく不安になってしまう。それで今年の四月からは、介護保険がスタートして、高齢者が高齢者を支えなければいけなくなってきた。今までは家族が看ていたけれど、看ていられなくなってきた。とくに、女性が社会進出してきます。これからは、社会で看る、地域で看る、みんなで保険で支え合おうというのが介護保険ですね。介護の社会化というのは画期的なことなのですが、いうなれば、日本の仕組み全体が変わりつつある中で、戸惑いがありこれからみんなでいい方向に作り上げていかねばならないわけです。
生存率は「男性がんばれ」?と言う
生存率という統計があります。これはゼロ歳で生まれた方がいくつまで生きられるかというものなのですが、六十五歳まで生きるのに、女性は92%に対して、男性は84%となっております。例えば、百人いれば、女性は八人しか欠けないのに対して、男性はそこで十六人欠ける。ところが、これを、八十歳で見てみると、・・・個人の問題ではなく、統計としてみると・・・、女性は72%です。28人が欠ける。まあまあですね。ところが男性はですね、六十五歳の時84%だったのが、八十歳では50%になってしまう。半分になってしまう。だから、特別の方が生き残っているという感じに段々なってしまう。先ほど、私がセンチュリスト・・・百歳の方は・・・、一万三千三十六人と言いましたが、83%が女性なんです。私は女性ですけれど、女性ばかり生き残って、老女大国になったら困ってしまうのではないかと、かえって不安です。本当は仲良く一緒に同じくらい長生きできたらいいと思いますね。ちょっと差が大きいですね。
もう一つ人口推計から見ますと、注目すべき統計があるのですよ。
六十五歳から七十四歳までの人を前期高齢者と言い、七十五歳以上の人を後期高齢者と言うのです。・・・私は高齢者と言うのは、七十五歳以上の人でいいと思うのですが・・・。それは、七十四、五歳くらいまではみんな元気ですよね。それを過ぎると、少しずつ生理的な衰えを自覚するようになりますよね。それまでは、そんなに心配しなくていいと思うのです。
その統計によると、前期高齢者の千二百三十七万人の中で、男性が46%、女性が54%であまり差がないですよね。ところが、75歳以上の後期高齢者になると、八百十四万人なんですが。内訳は男性が僅か35%で、女性は65%となっているんです。このような統計から見ると、男性が生き残りにくくなっているのではないかと思うんです。もちろん元気で活躍していらっしゃる方もおいでになることは承知しておりますが・・・・。
男性のみなさん 生き方を変えませんか
私は日本の社会では、やっぱり男性に負荷が掛かっているのではないかと思うのです。
家長として自分が家族を支えているんだと、社会に出て会社人間になって、一生懸命がんばっている。そして、定年になって六十五、六歳になり体調を崩すようになる。これは、私は男性の生き方の問題ではないかと思うのです。そこで、私は事あるごとに。男性の方々に注意勧告というか、提案をしているのです。今日はいい機会ですから、是非ともそういうことをご認識の上でお話しを聞いていただければいいと思っています。
男女共同参画社会は世界の流れ
女性は、今までは、小さいときは親の言うことを聴きなさい。お嫁に行ったら、そちらの家の家風に従いなさい。御主人に従いなさい。年をとったら子供に従いなさいなどなど、従い、従いというのが美徳だったのです。そのように私も教えられてきました。でも、今や違いますよ。男女共同参画社会などと言われています。なんか戦後、日本の女性が強くなったなどと言われますが、日本の女性だけじゃないんですよ。これは、世界の潮流なんですよ。男女共同参画社会というのは、人間が人間として生まれたら、権利は同じではないかということなんです。第四回の世界女性会議が北京で開かれまして、私も行きましたけれども、世界の女性が集まった中で、クリントンの奥さんのヒラリーさんが「女性の人権は権利である」と大宣言をされました。まさにそうですね。でも、日本社会では女性の権利は認められていなかった。女性は美徳として従うのが当たり前だった。そういうことで、今まで来たんですね。ですから、1+1=1.5くらいのエネルギーのままできたんですね。だけれども、これからは、1+1=2+αの社会を作りましょうと言うのが、男女共同参画社会なのです。
お互いに尊重しあいながら、認め合って、男性であり、女性であることの特性を生かしながら、子孫を残していかなくてはならないと思うのです。人間としての宿命の中で、お互いに助け合いながら、豊かな、より良い社会を作りたいですね。今までのような、男性中心社会だったから、必ずしも、うまくいかなかったのではないか。二十世紀の反省の中には、戦争など男性中心のものではなかったのか、ということがあって、これからは女性の視点も取り入れ、女性として一緒に考えていきましょうということです。けっして、えこひいきでもなんでもないし、人間として当たり前のことです。こういう社会が、恐らく二十一世紀の一つの形であろうと思っております。
気がつくと自分の後ろに誰も居ない
ただ、こういうことは、先ほどの人生五十年、八十年の問題と同じで、急に頭が切り替わらないですね。そういうことから、男性の方は、どちらかというと一生懸命にお仕事ばかりしていて、世の中についていけない方の割合が多い。だから、男性の方の方が、むしろ戸惑いが多いのではないかと思います。
ある男性の方と話をしているときのことですが、「イヤー、私は年寄りになったとか、介護保険とか、そんなことは心配いりませんよ。うちの家内が面倒看ますから」とおっしゃっておりましたが・・・。振り向いたら、必ず奥さんがついてきているつもりがいない。今はパートナーですから横並びか、人によっては奥さんが前にいる。だから、現実にけっこう定年離婚などということがおきているんですよね。こんなはずじゃなかったのにといってみても、これからの社会は、こうなんですね。
今日、この会場にお見えになっていらっしゃる方々は、自立していらっしゃって、自信を持って、「俺は大丈夫だ」とおっしゃられる方ばかりだと思うのですが、巷ではけっこう噂になっておりまして、だから、粗大ゴミだとか、濡れ落ち葉だとか言われてみたり、ワシ族とかタカ族とかいわれるようになるんですよね。
毎日がサンデーの招く憂鬱
定年になって、サンデー毎日になると、奥さんが一番困るというのです。本当に精神科の窓口に、高齢者の奥様方の相談が多いんです。
「今までと違って、主人が一日中家にいて、付きまとわれて、朝昼晩の食事に追われて、稽古事にも行けない。お友達にも会えない。もう大変だ。『亭主元気で留守がいい』と言うのは本当だ。何とかならないか」などという相談なんですね。一、二ヶ月くらいは我慢するけど、永くなると、「もうダメ、一日くらい、どこかへ出かけてもらえないかしら。何かないのですか」と、いうような憂鬱症に近い状態になってしまう。御主人の方は、定年になって、今まで苦労をかけたから、張り切って、「一緒に旅行に行こう」というと、「いやー、お願いだから、そのお金をください。私はお友達と行きますから。あなたは、どうぞお一人で」という感じですね。なかなか一緒に行ってくれない。
なりたくない「ワシ族」「タカ族」
買い物もそうですね。「わしも行こう」と、ついて行っても男の人は買い物があまり好きではない」。女の人は、一円でも安いものをと、探し回りながら買い物を楽しんでいますね。男の人はくたびれ果てて、「もうわしは、買い物などついていかんと」怒って帰る。わしも、わしもと言いながら、楽しめない。その次に、「買い物に行きましょう」と誘っても、「わいはいかん」という。これがワシ族です。その代わりに、帰ってきたら何処へ行ったか、誰と会ったか、なにを買ったか、どうしたか。たか、たか、たか、たかと訊く。これがタカ族です。
奥様にしてみれば、ちょっと買い物に行ったくらいで、一部始終なんだかんだと訊かれる。もう、いやっ、ということになる。
こういうことにならないようにするには、どうしたらよいのでしょう。
それは、若いときからの夫婦のあり方が大切です。だから、私は長寿ということは大変よいことですけれど、自立して長寿でなければならないと思うのです。
それで、私のモットーは二十年くらい前から行っているんですけれど『エイジレス』なんです。年なんて関係ない。
みなさんも今日から暦の年齢なんて忘れていいんです。いかに自分が健康な寿命を持っているか。健康年齢を大事にしてください。元気で長生きした方がいいですね。
元気で長生きある日ポックリ
私のモットーは、『元気で長生き、ある日ポックリ』なんです。
ポックリ寺にお参りする人も多いそうですけど、聞いたところによると、そのポックリ寺の和尚さんも寝たきりだそうですね。これでは、神(仏)頼みも難しいと思いますが・・。これも、他の方に聞いたことですけれどポックリ寺の奥様は。「うちの僧侶は、全国の人の願いを全部一身に集めて、今、苦行難行をしております」と、いっておられるそうです。宗教家は考えることが違いますね。偉いですね。そうかもしれません。
元気で長生き、ある日ポックリというのは、私の理想ですけれど、私は長生きというのは、自分の人生ですからね、自分で考える価値がある。ただ、一生懸命生きていて、寿命が尽きるのはやむを得ない。明日死んでもしようがないですね。でも、生きている限りは、自立して、元気で人のためになろうと思っています。
PPKという言葉が流行しているようですが、今までピンピンしていた人がコロリと亡くなることから、ピンピン、コロリ!私は人に迷惑もかけないで、こういう人生は、いいなあと思います。
価値観の混交・共存の時代
これからの高齢社会は変わってきます。それは、高齢社会と言っても、ジェネレーション(世代)でずいぶん違うんですね。戦前、戦中、戦後を生きてきた明治生まれのセンチュリスト、古き良き大正時代・戦争を中心とした昭和前半に生まれた人。戦後の復興・経済発展。そしてバブルの崩壊等々のさまざまな時代に生まれた、また、戦争を知らない世代が比重を占めつつある中で、さまざまな価値観を持った人、色々な環境で育った人が、入り混じって生活しているのが現状ですね。
したがって、高齢者の方が、戦前、戦中、戦後続いて持ってきた、自分たちの美学なり、哲学なり、価値観が通用しない。だから、非常に戸惑いがある。
NHKの朝ドラマ「私の青空」で、一番人気があったのは、伊藤四朗さん扮する、頑固なお父さん・・・マグロ漁師さんだったそうです。頑固一徹で、信念を通す、自説を曲げない。そんな生き様が共感を得たのでしょうね。
私たちの年齢は、そういう気骨、いいことはいいんだ、悪いことは悪いんだというように、あんまり変わって欲しくないこと、変わらざるを得ないこと、変わってはいけないことへの憂いを持ってしまう。
確かに、今、政治や経済は大変難しい時期だとは思いますが、何か世の中に不信感があって、安心していられないですね。しかし、安心していられる社会を作るためにどうしたらよいかを考えておくことは、今、二十一世紀に生きる私たちの大きな使命ではないかと思います。そういった意味で自立して、少しでも余裕があれば、お互いに助け合う社会を作りたいですね。もちろん、公助、公の助けの必要なものは、やっていかなくてはなりませんが、税金ばかり使われても困りますね。必要なものに賢く使って欲しい。これが私たちがこれからの政治を観る一つの視点ですね。この中で私たちは、この世に生まれてきて、自分の人生・自分だけにしかない自分の人生を如何にして充実して創り上げていくかということに尽きるのではないかと思うのです。
「三自のあなた」を大切に
そうすると、果たして平均寿命まで・・・七十七歳、まあ八十歳として・・・現在の年齢との差を、現在の状況のままで維持することができるかどうか。私はいけますという自信のある方、手を挙げてください。
いかがでしょうか(挙手した人のうち一人の方をさして)
「あ、たいしたもんですね。今、お幾つですか」
「七十九歳です」
「あ、じゃあもうすぐではないですか。人生百にしなきゃならないですね。百だったら如何ですか」
「・・・・」
「ちょっと心配ですか。ま、七十九歳でお元気なのですから大したものですね。優等生ですね」
変革の中で、どうやって私たちがきちんと生き抜いていくかというと、多様性を認めて、フレキシブルな、柔軟な、ものごとに固執しない。それでいながら、自分自身を曲げないで信念的に生きていかねばならない。
それには、「さんじのあなた」を大切にしなければならない。
「さんじ」というのは、三自、三つの自分のことです。
先ず自覚をして、それから、自律をしてください。そして自発ですね。
この三つを自分の中できちんと持って生活するといいですね。男性は自律が足りないと、依存生活で、奥様が居ないと、何がどこだか全然わからない。奥様に先立たれると、もう、茫然自失の状態のままになってしまう。普段からの自覚・自律・自発が必要なわけですね。
学ぶ人は老いず
高齢者の施設を看ておりますが、男性の方はお気の毒ですね。人数の少ないせいもありますが、施設の中で融和しない。それではということで、男性だけの施設を作ったところ、皆が、それぞれに外ばかり見ていてどうもうまくゆかないとある経験者が言っていました。
男女一緒の施設でも、女性が多いですから、男性は、もてて活き活きするだろうと思ったのですが、かえって萎縮してしまって、横を向いて寝ていたり、隅っこにいたりで、話しかけてもだんだん話さなくなってしまう。ご自分の順応力がないんですね。
会社人間であったために、仕事仕事で来て、定年になって家に入ったら奥様もそばにいてくれない。じゃあ地域ではといっても、都会では隣近所の人と付き合いが少ない。長い間地域の仕事をしていた人ででもないと、つながりがない。でも諦めてしまってはダメですね。よけい無気力になってしまいます。その点、郵便局関係の人はいいですね。地域の色々なことを知っていて、地域で生きている。これはみなさんの財産ですね。
このように自律して、そして、自分自身のアイデンティティー(自分らしさ、存在感)をもって、怠け心を抑えて、時代に遅れないように、いつも自己啓発(自発)をする。そして自分づくりをやる。「学ぶ人は老いず」と言います。幾つになっても、自分で向上心を持ちながら、今日よりは明日、明日よりは明後日という具合に、上向きに生きている人は活き活きしていますね。
「まだ半分ある」ポジティブ思考で!
「もうよかたい。私の人生は終わったんじゃけん。年じゃけん」と、いう人はいけませんね。
(演壇の水を飲みながら)このように、コップの水を飲んでも、「もう半分飲んでなくなってしまった。あああ・・・」と、嘆く人と「まだ半分ある」と、思う人と、どちらが良いと思いますか。後者ですね。これがポジティブ思考ですね。まだ半分ある。やろう。死ぬまでやろうという考え方が、病気の克服でもなんでも、大切なんですね。この上向きの姿勢は、年をとればとるほど大事になると思います。
若い頃はそんなことはどうでも良いんです。前頭葉さえ働けば、いろいろとやれるんですから。でも、年をとると、自ら自信がなくなってくる。細胞なんかも老衰しますから。それでも、老いを見せずに頑張ろうというときに、その気骨だけが支えになるときがありますよね。
自分づくりへの挑戦
そこで、私は、皆さんに若いときから「自分づくり」に励んで欲しいと思っているのです。いつからでもいい。今日からでもいい。決して遅くはありません。
自分を変えられるんですよ。変えなきゃついていけないことがあるんですね。その時には、変えようとする勇気がいるんですね。そして、そのためには、3K・・健康、教養、経済という、三つの言葉をキーワードとして、大切にしたいのです。普通、3Kというと、きついとか、汚いとか、苦しいとか、マイナスのイメージがありますが、この健康、教養、経済の3Kでもって、自分づくりに挑戦して欲しいと思います。
少し遅いかな、と、思う方がいらっしゃるかもしれませんが構いません。考え方の違いですから。
覚えるコツは三つにまとめること
私はよく三つというまとめ方をするんですよ。さっきも「三自のあなた」と言いましたでしょう。三つというのはいいんですよ。覚えやすいですしね。五つお話しをしますと、「えーと、なんやったかな。面倒くさいけん覚えまい」となってしまいます。ですから、私は無理にでも三つに入れてしまうんです。そうすると、二つはすぐ思い出させて、あと一つは何だったかなーと、脳の代謝にも良いですね。しばらく経ってからでも、「先生あのときの三つのことを守っています」などと言ってくださる。私は、重宝しています。
自分づくりの3K、健康、教養、経済についてお話しをします。先ず健康ですね。
健康づくりについて言いますと、昔はお大事にということで、守る健康だったんです。何かあると「じっとしていなさい。休んでいなさい」と、言われていた。これが、日本の老人を寝たきりにしてしまったことと関連しているんです。
高齢者の方は三日寝たら、一週間くらい足がふらつきますよ。よほどでない限り、寝たきりにならない方がよい。そこで、今は、守る健康とは言わない。(自分で)つくる健康といいます。これは、1986年、オタワ(カナダ)憲章として、WHO(世界保健機構)が、先進国においては、放置すると、過食・運動不足等が肥満・糖尿病等を招き、結果として健康は悪化すると警告したことによります。今の生活は放置すると不健康になる恐れがあります。
昔の人は、よく歩いていました。これが、体に良かったのです。郵便配達の人が長寿であるという統計があります。また、イギリスのロンドンの電車の車掌さんが長寿であるという統計もあります。二階バスなので、上がったり降りたり、よく歩くからですね。歩かない運転手さんはそうでもない。動くこと、歩くことは健康維持のために大切であるということです。
健康は自分で作る 体のサインを見落とさないで
健康は、自分で作るものそして、作るものであるということは、自分自身のボディ(体)をよく知りながら(関心を持ちながら)自分の体を使いこなしていくということですね。健康づくりということは、自分の心を体をうまく使いこなすことであると、理解してください。
自分を知るということは、自分の体が送ってくるサインを知るということです。飲み過ぎたから胃の調子が良くないとか、調子が悪いからお医者さんに行こうかなとか、体が送ってくれる、色々なメッセージにきちんと対応することです。
病気の予防にも段階がある
病気の予防にも一次予防、二次予防、三次予防と三つあります。
一次予防というのは、病気にならないための予防です。これが健康づくりなんですね。今のライフスタイルは自分で注意しない限り動くことが少ないし、食べ放題だし、好きなものばかり食べて、肥満になって、糖尿病になって、気が付いたら生活習慣病だと言われたりすることなのです。みなさま方が健康診断に行かれたとき、星の印が付いていて、肝臓がちょっと悪いですね。飲み過ぎですね。などと言われたりするのがそうですね。でも、これは生活習慣ですから、自分のライフスタイルを変えたら、お薬なんか飲まなくても、早い段階なら大丈夫です。これが一次予防ですね。
今では、癌の予防さえできる。癌予防の十二か条だとか、寝たきり予防の十二か条とか色々あります。そのほとんどが、自分自身少し用心することでならないで済むということばかりです。
もちろん、脳溢血でもどこで起きるかという、運命的なこともありますね。延髄の呼吸中枢の近くで起きたら、お医者さまでもどうにもなりません。心筋梗塞でも、心臓のどのバイパスがやられるかによって決まります。そうではなくて、そのようなことにならないように予防するということについて、色々なところで医学は進んできています。今日は時間の関係で、お話しできませんが、要は学習なんです。自分の体を良く知って、体からのメッセージをきちんと受け止めて、チェックをすることが大切です。これが一次予防です。
定期の検診で早期発見・早期治療を
第二次予防というのは、早期発見、早期治療です。労働省が年一回健康診断をしなさいとか、厚生省が四十歳以上の人は成人病検診を受診しなさいというのはこのことですね。レントゲンや血液の検査など、継続的(年一回でも)に受診することによって、傾向が判ってくる。時折健康診断の前になると、いつも飲んでいる人が、検診だからといって節制して、終わったら又すぐ飲む人がいますが、飲んで良いんです。一番悪い状態の時に診てもらって、診断を受けるのがいいんです。通知表ではないんですから・・・。できれば、お誕生日など一年に一回、同じ頃に日を決めて受診すると良いですね。それを継続して見てゆくことが大事ですね。結果のカーブを見ますと、疾病傾向など色々なことが判ります。早期発見、早期治療ですからね。
今は癌さえも怖くないでしょう。昔は癌と診断されると落ち込んでしまって、大変な騒ぎになりました。でも、今は違います。レーガンさんなんて、自分の癌を堂々と発表するし、最後はアルツハイマー病に罹っていることまで発表しましたね。まあ、勇気のいることではあったと思うのですが・・・・。
長い人生無病息災なんてムリ
三次予防というのは、そうしながらも、なってしまった場合です。脳卒中、心筋梗塞など運命的なものはですね。昔は大事をとって寝かせておくだけだった。でも、今は違います。脳出血なのか、脳梗塞なのか、くも膜下出血なのか、少しでも早く、きちんと診断をして、すぐにリハビリを始める。足だけは動かしなさい。手だけは動かしなさい。左が動かなかったら、右を余計に使いなさい等と、残存機能をフルに動かすことで、あるいは、リハビリテーションすることで、少しでも早く元に戻そうとします。
これが、ノーマライゼーションということです。長い人生、無病息災なんてあり得ないですよ。皆、いろいろな弱いところを持っていますよ。だけど、弱いところを労りながら、上手に自分で身体の調子を整える。体と心をうまく使いこなす人が、そのコツを得た人が長生きをしているのです。それを、早く会得することです。健康は、自己管理なのです。だから、自分で積極的に、判らないところは主治医に相談しながら、学習していき、自分のものにする。
そのために、メディカルチェックがあるんです。そういうことを、きちんとやっている人は違うんです。このように三つの予防があります。
健康「度」診断
今は、健康診断とは言わないで、健康度診断と言いますね。生活診断だとか、今までの体質、タバコを吸うか、塩辛いものが好きか、血圧が高くなるような家系ではないかなどと、色々なことを調べて,貴方は、こういうところを、注意しておけば、糖尿病になりませんよとか、糖が出ていても、お薬を飲む必要はありませんよ。運動を良くしなさいとか、色々なサジェスチョン(示唆)を与えることによって、ライフスタイルを変えることで、薬に頼らないでもいい時代が来ていますね。
興味をもって、まずやること
それから教養です。教養といっても色々あります。例えば、これから俳句を勉強しよう。IT(情報通信技術)を勉強しよう。パソコンに挑戦しよう。Eメールをやろう。アメリカなんかでは、九十歳くらいの人がどんどんEメールを送ってきます。やろうと思えばやれるんです。
ただ、日本のは、まだ遅れているものですから、高齢者向きではないですね。見にくい、字が小さい。わけがわからない、いらんものがありすぎますよね。単純なものがやり易い。そういうものを作って欲しい。提言しようと思っているんですが・・・。使いやすいものがあれば、誰だってできる。小学生だってできる。私だってできる、私は、今、やり始めていますけれども・・・。
或いは、今までの生活で、できなかったことで、自分に合ったことを、例えば、盆栽など園芸をやろうとか、無線のライセンスをとろう、高齢者を支援するための、介護保険のヘルパーになろうとか、何でもあるんですよね。何でもいいから自分の身につけることへ挑戦することです。
それから人脈を大事にすることです。情報をたくさん持つこと。そのためにはアンテナを高く掲げることですね。新聞でも隅々まで読むと、無料の講演会の案内記事などが出ていて、行ってみたら案外ヒントがあっていいかもしれません。人間関係も深まります。
できるだけ外へ出よう
人間は、どうしても浮き沈みがありますから、落ち込んだときは、外へ出てみると良い。
私も高齢ですが、年を言ってしまったらお終いですから、言わないで頑張りますが、エイジレスですからね。
西鉄がよいことをされていますね。六十五歳以上の人にバス券を出していますね。三万九千円くらいですけれど、三百六十五日で割ると、一日百円です。百円で何処まで行っても、何回乗っても良いと思うと、気楽に出かけられる。今日は鬱々しているから、天神にでも行って来るか。バスだから、使わにゃ損だと出かけます
私は、はじめは、落としたらどうするかなどと、買いきらなかった。落としたら無効だそうですね。写真が入っていますから。それで、半年分を買ったんですけれど。それを活用しているんです。気楽にしょっちゅう出かけています。どう乗ったら乗り換えがうまくいくかを考えるなど、高齢者が外へ出かけるには、大変良いことをしてくれたと思っています。
三万九千円出すのが大変という方のご参考になればよいのですが、私は子ども達に、「誕生日のお祝いは何もいらんから一年分のパス券を買うて」と、言っているんです。子ども達は、敬老の日に何を送ろうかと心配せんでもいいから、と言って買ってくれます。
そうすると、時間はあるんですから、図書館に行ったり博物館に行ったり、自由に出かけられます。
そこで、又、人に会う。触れ合いがある。これが、また次の行動のヒントになる。これが、活き活き人生につながっていく。私は、西鉄に何かを戴いたわけではないですが、良いことをやったなと感心しています。
経済(家計)も自己責任で
それで、もう一つの問題は経済ですが、この問題はみなさま方のほうがご専門ではないかと思いますが、とにかく、生活の安定ができるような計画を若いうちからしておかなくてはいけませんね。経済に強くなること。
今、色々な金融問題が起きていますね。郵貯は大丈夫だと思いますが、生命保険会社が倒産したり、合併したりして、どうなるんだろうか。一生懸命苦労してかけて、満期になったら貰えないなど、不安は一杯です。でも、あの手この手で、自分の人生設計をしていかなければいけないと思います。
栄養・運動・休養が健康の秘訣
今まで申し上げましたことの中で、健康については、ご自分のもの(属人的)ですから、人にあげることも、人からもらうこともできないですね。ちょっと貸し借りというわけにはいかないですね。
自分の健康は自分で自己管理して健康づくりするしかないですね。これも大切な三つのポイントがあります。
健康づくりの三原則です。
一つは栄養です。食べることです。「食は医なり」です。私たちの体の六十兆の細胞を活性化しなくてはならない。そのためにはエネルギーが必要です。不必要なものは捨て、大事なものを取り入れる。これも、日進月歩の情報があるので、学習しなければならないのですが・・・。栄養はとても大事なことで、これが歪んでいると、生活習慣病となり、糖尿病や骨粗鬆症になる。昔は、人生五十年でしたから、更年期障害などなかった。骨粗鬆症などなかった。書けますか。難しい字ですね。外科へいくと、骨が摩滅している。レースのようになっている。もう年ですからね。等と言われてしまう。ほんとうは病気じゃなく。いかにうまく使うかの問題です。ひざが痛いといって、動かさないと、もっと動かなくなってしまいます。健康づくりに大切なのは栄養と、運動と休養の
三つの柱なんです。
選食 頭で食べる習慣を
今は、ほっといたら、生活習慣病になってしまいますから、選食(選んで食べる)ということが必要になってきます。外食が多いでしょう。朝、昼、晩きちんと食べなさいとか、塩分控えめにとか、色々なルールがあります。そして、一日三十種類の食物を食べなさいというのは、大切な栄養素をバランスよく食べることで、抗酸化酵素が大事だと最近注目されており、癌の予防さえ食生活が関係します。
緑黄色野菜、青魚などから、ビタミンのA,B,C,E,Kなどや、EPAと呼ばれる不飽和脂肪酸など、今日は詳しくお話しできませんが、これらをきちんととって、細胞を守るためにバランスよく、正しい食べ方を学んで欲しいと思います。
歩けること(運動できること)の幸せを実感して
そして、あとは、動くことです。散歩することです。オリンピックのような競技ではなく、高齢者の運動は心臓と肺の機能を高める適当な負荷をかけながら、ニコニコペースで、脈拍を測りながら、三十分でも、できれば一時間くらい歩くといいですね。一日一万歩などと言いますが、難しかったら六千歩でもいいですから、毎日コンスタントに、できるだけ歩くことが大事です。それは、歩くことが筋力を増すことになります。歩けない人はダンベル体操でも良いですし、テレビでは玄米を袋に入れて、それを持って体操をしていますね。脂肪を減らして筋力をつけると、血管が増えます。酸素をたくさん取り入れます。循環が良くなります。栄養がいきわたります。結果として、心肺機能が強くなり、生き残ることになります。運動の大切なことをご理解いただけたと思います。
休養に積極的な意味合いを
それから、休養も大事です。なかなか休めなくても、休む癖をつけてください。そしてストレスを除くこと。ストレスの上手な解消ができる人になってください。加えて、前向き思考をもって、楽観的に生きていくことがいいですね。これからは、そのような社会が大事になってくると思います。それに、生き甲斐をもって欲しいです。生き甲斐を持つということは、自分の人生に、満足感をもつということなんですね。いつも、不満、不満で、隣の人のことを気にしているような人生は、よくないですね。これは、自分をポジティブ思考に作ることなんです。一息入れて、リフレッシュしてください。
「育児」から「育自」へ
私は、仕事第一の会社人間であってもいいですから、「自分づくり」に目覚めて欲しいと思います。「育児」が終わったら、「育自」、字が変わるんです。子供の「児」から、自分の「自」に変わるんです。どのくらいの年齢からかというと、人生八十年として、半分の四十歳くらいですかね。少なくとも「オイルショック」を感じたときからと言っているんです。いまどき、何でオイルショックなのかと思う人が多いでしょうが。私の言うのは「老いるショック」ということ。「しみ、しわ、しらが」の三点セットを意識し、もう若くないなと感じたときが、自分づくりのスタート地点なのです。私たち人間の体は二十歳くらいが最高です。記憶力は十八歳くらいが一番良いんではないですか。二十六歳くらいから体力は段々下降し始めます。それを如何に長く保持、増進するかということなのですね。少し努力すると増進します。保持の仕方が、自己管理なのです。人間の体は、代謝を繰り返しながら、下降線をたどるわけです。脳のように三歳頃にできあがってしまうものもあれば血液のように、毎日、変わるものもあります。
したがって、大事なのは栄養であり、運動であり身体のコンディションづくりということなんです。
皆さんは、ダッシュが決め手の短距離選手から、ペース配分を考える長距離選手になるわけですね。車と同じで、新車なら、少々無理しても大丈夫ですが、中古車になると手入れをしながら、大事に使いますね。大切な身体を上手に運転する。これは、きちんと意識しておくべきことなのです。
高齢者として「よく生きましょう」
ソクラテス(ギリシャの哲学者)が「大切にしなければならないことは、ただ生きるということではない。よく生きるということである」と言いましたが、自分の人生に厚みをつけ、満足感を持ちながら、一日一日を重ねていくことの大切さを説いたものだと思います。
これからの日本は、自立した高齢者が多くなり、多様な生き方を自分で選択しながら、能力発揮できるような、新しい高齢者が求められています。それが成熟社会を作ることではないでしょうか。そして、皆さま方には二十一世紀の日本が成熟社会として発展していくために、活き活きとしたエネルギーをもった活き活き高齢者として、これを、支えて戴きたいと願っております。時間が参りましたので、皆様方が、お元気でご多幸な人生を歩まれますように祈念いたしまして、お話しを終わらせていただきます。
                                               終わり