レッスン料

浜根未稀

 

息子が小学生だったとき,PTAで運営する硬式テニス同好会に入れてもらった。メンバーは15人。全員が30代後半で、テニス初めての主婦ばかりだった。10年たった今も、ほとんど当時の顔ぶれのままで、会は続いている。

中年からの習い事というのは、皆、ほんとうに熱心である。忙しい家事やパートの合間の、貴重な時間を当てるのだし、コーチ料だって無駄にしたくない。

というわけで誰もが、まあそれなりにうまくはなるのだが、そこは中年の悲しさ、アヒルのごとくバタバタと走り回る「おばさんテニス」の域を出ない。私としては伊達公子の、白鳥のように優雅なプレーにあこがれていたのに・・・・。

上達可能な年齢限界も早や目前に・・・とあせった私は、この春一念発起して仲間に内緒で三泊四日の、あるプライベートなテニスクラブの合宿に参加した。10万円という結構な費用に賭けた。

富士山麓山中湖畔のテニスコートを借り切り、午前中2時間、午後から3時間、ひたすらテニスだけをする。10年の長きにわたってやってきた私なのに、クラス分けレッスンで、何と、初級コースに入れられた。

中級コースの該当者はなく、上級コースは大学生、テニス歴20年以上の主婦や熟年男性たちである。その中に、一際目立つ女性がいた。白髪のショートカットに、真っ黒に日焼けした顔。体型はずいぶん小柄だ。華やかなウェアを身につけているものの、かなり年輩者である。

「ほとんどネットに張り付いたまま、五分五分にダブルスゲームを運んでいるわ」

「カンがいいし、ボレーのテクニックが冴えてるわね。けっこうお年に見えるけど、何歳なのかしら」

鮮やかなテニスに称賛を送りつつ観戦している初級コースの私たちに、

「ああ、Sさんね。彼女は72歳、すごい人なんだよ」

と、主任コーチが教えてくれた。

彼の話はこうである。

Sさんは夫に先立たれ、働きながら女手一つで三人の子供を育てた。デパートでの販売の仕事は、土、日曜日、祝日も休むことは許されなかった。

60歳の定年で職を退き、念願だったテニスを始めた。立ちっぱなしの仕事で痛めた腰やむくんだ脚にもよさそうだったし、なにより、オフの日の散歩道で見たテニスコートで老いも若きも楽しそうにプレーする様子が目に焼き付いていた。

しかし始めてみれば、年齢的にも体力的にも、激しいラリーをこなすのはもう無理だった。だったら歳にあったテニスをすればいい。それにはネット際で勝負を決めるボレーだ。動きが少なくてすむこのテクニックをマスターすれば、皆と試合が楽しめる。

早くボレーをうまくなりたい。そのためにはどうしたら・・・・。

スクールの通常のレッスンは90分、三千円。割安だが8人制なので時間がもったいない。個人レッスンは30分、六千円だが、最高技術をもつ主任コーチの指導は八千円である。

彼女はあのお金のことを思った。

すでに成人した三人の子供たちから誕生日に送られた百万円だ。百万円というと、けっして少ない金額ではないが、かといって今の世の中、海外旅行だ、買い物だ、と欲望に流されて使えば、知らないうちに消えてなくなってしまう額でもある。

―もったいなくて、どう使ったらいいかと手をつけられないでいたあのお金で、仲間の誰よりもうまいボレーを身につけよう。

彼女は、そう自分に誓ったのである。

そして主任コーチにぴったり指導を受けての2年後、百万円はきっちりレッスンに消えた。

「彼女のボレーはぴか一だ」

「年配者だからって油断していると、あれよあれよという間に負けちゃんだよな」

若い人も、もはや手加減なんかしていられない。主任コーチは続けて話した。

「もう歳だからと、年齢のせいにしてあきらめる人がいるけれど、目的意識をしっかり持てば、なんだって可能だよ」

コーチの話を聞きながら、しっかりした目的意識もさることながら、私は、彼女に潔さを思った。大切なお金を、使うべきときに使う潔さ。そしてそれを無駄にしない一念の強さ。

三泊四日の合宿は、最終日には日頃の運動不足がたたり、腕はヘロヘロ、足はガクガク、腰はフラフラになってしまった私。

アヒルから白鳥への変身はかなわず、結構なレッスン料も有効に使ったとはとても言えないが、かわりに心の中を、少し、レッスンしてもらったような気がした。

                              (終わり)