町のネズミ、田舎のネズミ、波に乗る

北村 節子

 

年末、いとこ会に参加した。実家のある信州の城下町で、盛り上がろうというわけ。「二次会はカラオケだからね。持ち歌、磨いておいで」というお誘いである。

団塊世代の四人、その連れあいが二人、子どもたち(と言っても大学生と高校生だが)という顔ぶれで中華料理店で料理をたいらげ、紹興酒で顔を赤くして近くのカラオケ店へと移動する。外へ出ると、東京とは全然違う清冽な寒気が頬を刺して気持ちがいい。夜八時過ぎ、商店街はもうシャッターを下ろして静かなのも、「夜になったら家族の時間」という地方の常識を語るようで、なんだかほっとする。見上げれば満天の星だ。

ところが、めざすカラオケ店の前に行って驚いた。ここだけは電飾煌々、大勢の若い人たちがさんざめきながら出入りしているではないか。「大丈夫、予約してあるから」という地元のお元気主婦であるA子は慣れた風でビルに入る。エスカレーターの両側にはたくさんの小部屋。飲み物を運ぶボーイさんが忙しげに駆け回る。この街はおろか、東京でもここ十年、カラオケに足を踏み入れていないわたしはもうオドオドだ。

コの字型にソファの置かれた小部屋に入って歌合戦となり、またもびっくり。みな、分厚いリストを手に次々に自分の希望曲をマシンに登録して実に上手に歌う。高校生の姉妹は一人が歌い出せばすかさずもう一人がハモる、という具合で、わたしは学生時代に覚えたフォークなんか歌うしかない。トホホ。

ところでいとこのBは、前日、中国から戻ったばかりだった。先代から引き継いだ会社の工場の一部をジャカルタ郊外と大連に移し、年中走り回っている。それなのにわたしも知らない新曲を矢継ぎ早に披露して得意気。「どこで仕入れたの」と聞けば、「ジャカルタでも大連でも、あっちの取引先との付き合いはコレだもの」という。そうだ、カラオケは日本が生んだ世界規模の平和商品なのだった。「むこうの人も好きだぜ。日本の新曲もけっこう入ってくるし」。

さらに大学一年坊主も東京から戻ったばかり。「思い立って駅に行けば、新幹線で一時間ちょっと、ウチに着いちゃう。ま、金があればだけど」と、ホームシックとは無縁の様子。かと思えば、塾教師のC子は「何がショックって、あのテロよ。ちょっと時間がずれていたらわたしが死んでた」と言う。友達と銀ブラならぬNYブラをしたばかり。こんな田舎のおばさんが、実は危ないところだったらしい。

ライトを落とした室内に響くロマンチックなラブソングを聞きながら、わたしは「第三の波」という言葉を思い出していた。八十年代に流行った、あの、アルビン・トフラーの脱工業社会到来の予言である。人々は距離に縛られずに情報を享受し、一人ひとりが個性的なライフスタイルを築くことができる、という夢物語だ。八十二年に新書版で初めて読んだときは実感のない「SF的教養書」という印象だった。あれから、ちょうど二十年、それが今、目の前でリアルに展開されている。そういえば、この会のお知らせもメールで届いたのだった。徐々に変わる日常は、実は歴史の大転換点というわけだ。

夜更けてお開きとなり、再び寒気鋭い夜の町に出た。先刻よりさらに静まりかえった街だ。星空を仰いだとき、突然、もうひとつの物語が脳裏に浮かんだ。昔、絵本で読んだ「町のネズミと田舎のネズミ」。「街は賑やかでうまいものもたくさんあるよ」という町のネズミの誘いに出かけていった田舎ネズミ、人間だらけで危なくて仕方がない。結局は「贅沢なものはなくても、田舎がいいよ」と、家に帰る話である。

2002年、知恵のついたネズミは、おもしろい情報だけはしっかり握って、快適な田舎で遊ぶ。中年ネズミの一行は、笑い会って別れた。

                                終わり