信じますか?(その一)

浜根未稀

 

不思議な体験をした。

あの日から三年たった今も、この目で見た不思議な出来事は、私の心を捕らえて離さない。そして、残された私の半生にもずっと、何らかの影響を及ぼしていくような気がしている。ことの発端は、その前年の暮れにかかってきた一本の電話だった。応対に出た夫は、
「やあ、君か」
と言ったっきり、後は
「へーえ、ふーん、そーお、ほんとに?」
などと、半信半疑の返事を繰り返すばかりである。

 奇妙な対話の相手は、メキシコ在住25年になる夫の学友のKさんで、日本を出国する直前に、成田空港からかけてきたものだった。今回の訪日はたった3日間の滞在なので、会う時間がなくて残念だと詫びる。なんでも短い来日の目的は、噂に高い日本人超能力者に会うことだったというのだ。

 「変なやつだなあ。そういえば、半年前に仕事でメキシコに行ったとき、彼の書斎に、瞑想やら心理やらの本が並んでいたな」とさして気にかけるでもなく、夫は言った。

 年が明けた1月末、夫は日帰りの出張で長崎県へ出かけた。ところがその日の夕刻時、予定を1日延ばす、と電話が入った。仕事先からほど近いところにKさんから聞いた超能力者が住んでいるので、立ち寄ってみる、というのである。
 「まあ、あなたも酔狂な人ね。でも、何かの話のネタにはなるかもね」
 気楽に答えて、私は受話器を置いた。

 翌日の夜遅く夫は帰宅した。その興奮状態は尋常ではなかった。玄関先で靴を脱ぎ飛ばし、居間のテーブルについたとたん、
 「おい、みんな集まれ」と家中に声をかける。
 「お父さん、お帰りなさい。集まれって、いったいなんだよお」

 面倒くさそうに、専門学校生の息子と高校生の娘が二階から降りてきた。私と二人の子供たちが椅子につくと、夫は堰を切ったように話し出した。だが、話があちこち飛んで、さっぱり要領を得ない。
 「まあ、ちょっと落ち着いて」と私。
 「これ見ろよ」
 取り出すのももどかしく、夫がポケットから引っ張り出したのは、グニャグニャになったスプーン。柄の部分がネジリアメのように二重三重にひねられている。

 そういえば、ずいぶん前にテレビで見たことがある。サングラスをかけた超能力者らしき男が両手を広げて念力をかけると、魔法みたいにスプーンが曲がったのだった。あれは画面の中だったが、その本物をテーブルの上に置かれて、私はちょっとひるんだ。だが息子は、「今時スプーン曲げなんて、ぜんぜん珍しくないよ、これはマジックなんだから」とシラケた口調で言う。夫はじゃあこれはどうだとばかりに、続けてメキシコのコインを取りだした。メキシコの1ペソコインは、大きさは日本の五百円玉と同じくらいだが、もう少し厚みがあって、めちゃくちゃ硬い。その人が誰であれ、人の指の力で変形するなどとは、とうてい考えられない。その1ペソコインが、いくぶん、真ん中で折れている。

 曲げてくれますかと頼んだら、いいですよと軽く受けて、両方の親指でコインの面を数秒こすった。すると真ん中からキューっと折れたのだと夫はいう。そんなバカな・・・と唸っても、目の前に見せつけられると、私たちは返す言葉に詰まる。
 「ようするに、何か仕掛けがあるのよ。人間にそんなことが出来るわけがないじゃない」

 反論のしようがない私たち三人は、夫の説明にまったくとりあおうとせず、なんやかやといちゃもんをつける。三対一の不利な状況に、とうとう夫は怒りだし、最後には黙り込んでしまった。

 それから2ヶ月たった3月末、再び夫に長崎へ行く用事が出来た。なんとか超能力の真実を証明したい夫は、みんなで行こう、と私たちを誘った。春休みで暇をもてあましていた子供たちは、一所懸命な夫の誘いに、ほんじゃ、まあ行くか、と重い腰を上げた。あまり乗り気でなかった私も、皆が一緒ならとしかたなく同意した。
 というわけで、一家あげての長崎県の超能力者詣でとなったのである。

                                (続く)
Kochan注:
私が行ったところと同じと思います。グニャグニャに曲がったスプーンを持っています。