信じますか?(その二)

浜根未稀

 三月某日、私たち一家は、午前七時五十分発の全日空機で羽田空港を飛び立った。長崎空港からバスで20分ほどのところに、川棚町という小さな町がある。そこでSさんという四十代の男性が喫茶店を営んでいる。メキシコに住む友人のKさんが別格の超能力者と称える、その人なのだ。私たちは川棚町のバス停に降り立った。バス停の前にみやげ物屋があり、二階が彼の喫茶店である。喫茶店に入るには、一階のみやげ物屋で整理券をもらわなければならない。ショウは(超能力をみせるのをショウと呼ぶ)午前十時、午後二時、六時と、一日三回行われる。                                       

腕時計を見ると午前十一時を指しており十時からのショウはもう始まっていた。次の午後二時の部もすでにいっぱいで、私たちが手にしたのは夕方六時からの券であった。長時間待たされることにはうんざりしたが、それでも私たちはラッキーだったのだ。当日券が取れなくて、翌日まで待つこともざらなのだそうだ。喫茶店から道路を挟んだところに、この町にはそぐわないような立派なホテルがあるが、待たされる人たち目当てに建てられたものらしい。

さて、とにかくどこかに腰を落ち着けなければと、その場を離れかけたとき、みやげ物屋のおじさんが小走りによってきて、ちょうど今、午後二時の部のキャンセルが四人でました、という。七時間も待たなければならないところが三時間に短縮されたのである。私たちは小躍りして、ともかくも近くの喫茶店に入った。

午後二時。喫茶店のドアが開き、ショウを見終わった人たちがぞろぞろと階段を降りてきた。超能力を目のあたりにした人はいったいどんな心境でいるのだろうと、私は興味津々で彼らの様子を伺う。神妙な顔付きの人もいれば、ニタニタしている人もいる。しかし誰もが、無言のままだった。

待っていた列の後尾に連なり、私たちは会談を登り切り、店内に入った。内装はおよそ時代遅れでしゃれた雰囲気はない。だが、ここは飲食を楽しむのではなく、超能力を見る場所なのだ。

Sさんは穏和な感じのごく普通の男性で、白いエプロンをかけ、調理場で忙しそうに立ち働いていた。細身で美人の奥さんが、「ショウの代金はとりませんから、何か注文してください」というので、私たちはピザと飲み物をとった。勘定は約四千円弱。ほかの客も似たようなものを注文していた。コーヒーとトーストだけの人もいた。

一時間ほどして飲食を終えたころお客たちは、奥さんからカウンターの前に集まるように促された。

最前列の人は椅子に座り、二列目は立ち、三列目の人は椅子に上がって、カウンターを取り巻くように並ぶ。こうすると二十人の誰もがカウンターをよく見渡せる。

全員が今や遅しと待っていると、厨房からエプロンをはずしたSさんが現れた。さあ、いよいよショウの始まりである。

まず、砂時計が出てきた。砂がサラサラと落ちる。「止めますよ」と彼がいったかと思うや、ガラスのくびれたところでピタッと砂の流れが止まった。びっくりするのもつかの間、次から次へと不思議なことが展開されていく。

客から預かった腕時計の針を望みどおりの時間に合わせ、四つ折りにした一万円札を空中にひらひら飛ばし、鉄の塊にツマヨウジを通す。

一万円札に百円硬貨がスーッと入って福沢諭吉のサンバイザーになり、ボトルに締め付けてあったナットが、彼の視線の下でクルクル回りだし、カランとはずれて転げ落ちる。

両手に持ったニクロム線に念力で電気を通し、水ぶくれになった指先をみせたかと思えば、その上に掌をすべらせて瞬時にやけどを治してしまう。

私は心の中で言い聞かせる。(これは手品だ、テレビでも似たような出し物をやっていた。どこかに巧妙な仕掛けがあるに違いない)と。

しかし、ショウが行われている間、Sさんは両手をカウンターの下におろすことも、上や後ろに回すこともなかった。不思議なことがらのすべてはカウンターの上で行われ、私はそれを1メートルの距離で、まばたきひとつせず、凝視していたのである。

東京大学で教鞭をとっていたある著名な物理学教授をして「今まで私が教えてきたことはなんだったか」と言わしめたというほど、およそあり得るはずのない超常現象が、目の前で繰り広げられるのである。

段々確信が揺らいでいく私は、それでも心の隅で、ほんとうにこんなことがあるのだろうかと、まだ信じたくない気持ちでいた。

しかし、それから続いて行われたショウで、私は完全に打ちのめされてしまったのだ。

                                続く