健やかに老いるために 福井中央クリニック副院長 久津見律子 (1954年生)
精神科と心療内科の違い 私は心身医学という部門を専門と致しております。これは、心療内科という言葉をお聞きになったことがあると思いますが、精神科ではございません。やはり、内科に属する専門科です。内科の病気の仲にストレスとか悩みとか、生活の行動パターン、環境などが原因で病気を起こす方がいらっしゃいまして、お薬だけでほかの内臓、臓器を診て治療しましても、中々良くなりませんし、アプローチの仕方を薬理学的な薬による治療だけではなく、心の方面からもアプローチをして、病気をよりよく治していこうという立場に沿って発展してきたのが心身医学なのです。 ですから、よく「精神科と心療内科とどこが違うんだ」と質問されますし、その中には「心療内科も精神科として治療すべきだ」という意見が入っているんですが、私は逃げではなく、あくまで内科医であるという立場で治療させていただいております。 登校拒否も摂食障害も守備範囲 今日の演題は「健やかに老いるために」ということですけれども、私は先ほどお話し致しましたように、心療内科という立場ですので、どちらかというと患者さんは若い方が多いんです。もう少しわかりやすく言いますと、小学校から高校生までの登校拒否のような方。若い女の子から成人した女性に多い拒食症とか、過食症といった摂食障害の方。そして、中年の男性に多いんですけれど、職場のストレスによる鬱状態、それから胃潰瘍。さらに、中年女性に多くなってきます更年期障害など、そういった患者さんが多くなります。 老人の方というか、老年期の心身症というのもございますが、そういう方は一般の内科とか外科とか泌尿器科といったところで診ることが多いのではないかと思います。私もそういう科の方から相談を受けて、ご紹介を頂いた患者さんを診た経験もございますので、これらを踏まえて、今日はお話をさせて頂こうと思っております。 「平均寿命」も「健康寿命」も世界一 皆さんがご存じのように、日本は約十年ぐらい前から平均寿命が男女とも世界一を続けております。平均寿命だけではなく、周産児死亡率といいますが、産まれて一週間以内に亡くなる赤ちゃんについても、それから、幼児死亡率も世界一少なくて、全体に見ますと日本は世界一の健康国家だと思われる方も多いのではないかと思います。 この平均寿命世界一という現象を少し突き詰めて考えて見ますと、ただ、長く生きているだけということでいいのだろうかという疑問も湧いてくるわけです。痴呆症とか寝たきりといった病気で生き続けるという寿命がいくら長くても、これが幸せと言えるかどうかということですね。単に長く生きるというだけではなく、健康で長生きできるということが必要になると思うわけです。 この健康な状態で生きている期間を「健康寿命」と言います。「健康寿命」と言いますのは、痴呆でもなく自分自身の生活は自分でするという、自立した能力を持っているというのが何歳までなのかということを指しているわけです。 十年くらい前までは、厚生省の統計をとっていたのですけれど、どういうわけか十年前に中止になっています。その時、一九九〇年の健康寿命は、幾つだと思われますか・・・六四歳なんですね。 それ以降も平均寿命はどんどん延びていますけれども、健康寿命も延びているかどうかということを調べました。厚生省の方にないものですから、WHO(世界保保健構)の方で全世界的に調べた資料をもとにしました。ここでは、平均で何歳まで健康に生きられるかということを国別に健康寿命を出しておりますので、見ましたところ、それによりますと日本は第一位で七十四・五歳です。内訳は男性は七十一・九歳で女性は七十七・二歳だそうです。健康寿命も女性が長いということになります。 世界最短の「健康寿命」は二十五・九歳 これを見ますと、最も健康寿命の短い国はシェラレオネという国です。そこでは、たった二十五・九歳だそうです。 皆さんがよく知っていらっしゃるアフリカの国でエチオピアという国がありますけれども、そこは世界の国の中では百八十二位で三十三・五歳が健康寿命だそうです。ちなみにアメリカは二十四位で七十歳、中国は八十二位で六十二・三歳、インドは百三十四位で五三・二歳です。織田信長が「人生五十年・・・」と言いましたが、インドは今そこにいるわけですね。 こういうWHOの計算方法というのは、病気や怪我で健康が損なわれた期間を平均寿命から差し引いたもので、多くの人が重い傷害に長い間悩むような国では、平均寿命と健康寿命が非常に開くことになります。日本の場合には平均寿命が男女合わせて八十・九歳ぐらいですから、健康寿命の七四・五歳を引きますと六年ぐらい短いですね。 老人は日本では六十五歳、アメリカでは六十歳ただし・・・ 日本では、先程の十年前の健康寿命調査ではないですけれど六五歳以上の方が老人と呼ばれていますが、ちなみにアメリカでは六十歳から老人と呼んでいます。ただアメリカでは、慣例には六十歳から七四歳までをヤング・オールド、若い老人というふうに位置付けて、こういう方は仕事があれば働くこともできるし、一応病気にも罹りにくいと思われています。 七十五歳以上をオールド・オールド、年を取った老人というように呼んでいます。この年代になると痴呆症とか、寝たきりとか、女性に多い病気ですけれども骨粗鬆症とかに罹る危険性が高くなってくるというふうに考えられております。 結局、七十五歳までというのは、今、ポピュラーになってきています介護保険でいうような、介護の対象にならないように、リハビリで、今、持っている能力を開発していく、もしくは維持していこうということを当面の目標と捉えているわけですね。リハビリと言いましても、別にどこかに行って何か器械を使ったり、人の指導を受けてやるという意味ではなくて、今、やれることを維持していくというだけでも、十分リハビリになります。 こころのケアーの大切さ さっき申し上げましたように、私の専門ではストレスや悩みが胃潰瘍とか喘息を起こすとかいった心身症(心が体に及ぼす病気)が本来の対象ですが、鬱病とかノイローゼといった方をどうしても診ることが多くなってきます。今、流行の心のケアーということが専門になるわけです。 こういう私の立場から見ますと、「健やかな老後」というのは、今、お話ししました健康寿命と言う、身体や知能が充実しているということ、これだけで果たして健やかと言えるかどうかという疑問を感じてしまいます。 私が経験したお二人ほどの患者さんのことをご紹介いたします・・・。 まず、お一人目は七十四歳の男性です。この方の主訴は残尿感です。尿がすっきり出ないということです。この方は或る他の内科系病院の方から転院してきた方です。 ズーッと入院しているんだけれどもオシッコがちゃんとでない、出てもまだ残っている感じがするから、カテーテルという管で導尿して出して欲しい。それから、便が出るには出るけれど、すっきり出ないから浣腸して欲しいと、いつも看護婦さんに訴えていたそうです。それが検査をしましても異常だという所見がないんです。実際に導尿してみても、ほとんど残っている尿はないという状態なのに、最近はオシッコがすっきり出ないから、弱ってしまって歩くことも出来ないというふうに訴えられて、主治医の方が電話をかけてきて、うちの病院ではどうしようもないので、心療内科で診てもらえないかということで転院してきたわけです。 息子さんが連れて見えたんですが、病院に入る時点から車椅子で移動するしかなくて、片方の耳が聞こえにくいということで、診察の時にも大きな声で聞くんですけれども、会話が成り立たないで、息子さんがかわりに話をするような状態でした。その息子さんも五十をかなり過ぎているようでしたが・・・。 検査で異常所見は何も出てこないのに 内科や外科の病院で色んな検査をしたけれども何ともないと言われたというんですね。何ともないといっても、やはり七十四歳の方ですので、不整脈に対するペースメーカーが入っていましたし、前立腺肥大ということで以前に手術をしたということはありました。それが両方とも現在は特に症状として出るような異常はないと医師に言われたと言っておりました。そのために、息子さんも途方に暮れまして、どこの病院でもどうしようもないんだろうから、しばらくは入れてもらって、それで施設に入る順番を待とうかというような感じでいらっしゃったようです。 入院しても、やはり前の病院と同じで、しょっちゅうナースコールのブザーを押していらっしゃいまして夜なんかもズーッと眠れませんでした。三十分おき、一時間おきにオシッコが出ないからとってくれとか、オムツをしてくれと訴える状態が続きました。 うちの病院が特別というわけではないのですけれども、この方に対して看護婦さんとかカウンセラーが密接に関わりまして、一ヶ月後ぐらいには非常に元気になられました。 オシッコの間隔も徐々に長くなりましたし、車椅子でしか動けないと言っていらっしゃった方なのですが、運動のためにといって、車椅子に乗るのではなく、車椅子を押して廊下を走って歩くくらいになられました。結局、前の病院の関連施設に入所できることになりまして、下見みたいな形で病院に行かれたのですが、当時の主治医の方が驚かれるぐらいでした。 当初、私も余りにしつこい訴え方と、客観的な所見との乖離があるために、老人性痴呆症の始まりではないのかなと思ったぐらいでしたが、お話を伺っていますと、やはりストレスから排尿に過度に神経質になって、そのこだわりから自分は歩くことも出来ない重症なんだというふうに思い込み、身体もそのとおりになってしまったということが分かりました。 ストレスがもたらすプラス・マイナス このストレスというものが、お年寄り特有のものなのかなと思います。一昨年までは熱心にゲートボールをやっていらっしゃったそうですが、そのゲートボールの仲間の方々とちょっとしたトラブルがありまして、結局ゲームに参加できなくなってしまって、ほとんど家にこもりっきりになるようになったことから始まったようです。この方は五十歳代で奥さんが癌でなくなりまして、息子さん家族とズーッと同居していますが、日中は息子さんはいないし、お子さんを抱えたお嫁さんは、ご自分の活動や家事等で忙しくて話し相手になってくれない。そういうことで、どんどん孤独感が強くなりまして、病院に助けを求める、そういう状態になっておりました。 この病院での関わりと言いますと、特別なことではなくカウンセラーが周に二〜三回、一時間から二時間、とことん話を聴くことでした。症状についての話とか、生い立ちについてとか、趣味といったことまでも話を聴きました。また、息子さんの方からもすこし情報を得ていたので、もともと世話好きの人であったということから、年上の身体の不自由な方、寝たきりの方などと同じお部屋に入ってもらい、この方にその方々の介護を手伝ってもらうという機会をつくりました。 そういったものが良かったのか、昔、国体の卓球の選手だったということ、囲碁の有段者であるというようなことを話しているうちに、他の患者さんに囲碁を教えたり、卓球の素振りで体を鍛えるんだというようなことをしてみたりして、患者さん自身が以前の自分のイメージを思い出して、自分を取り戻してきたようです。顔色も入院当初の生気のない感じに比べて良くなってきて、表情もしっかりした感じになられまして、施設に入ることで他の方のお手伝いができるというふうな、生き甲斐と言うんでしょうか、目標みたいなものを持たれるようになりまして、軽症の方が入るグループホームというのがあるのですけれど、そこへ入所することができました。この方の場合は生き甲斐というものを見いだすということが大切だったのですね。 「神経質」の一言がストレスを加速 次の方は前の方より年齢が上で、八十二歳の男性の方です。この方の訴えは、食欲が出ない。身体が辛くて起きていられない。朝起きられない。死にたくない。というものでこう言ってズーッと家で布団のなかにもぐっている状態でした。この方は起きづらい、身体がシャンとしないので、ごはんを食べた後、また布団に入ってしまう。いつまでもそういった状態が続いて食欲もなくなって、食べる量が減ってやせてきた。時々「死んだほうがましだ」などと家族にもらすというような状態になっていました。 そういうことで、ちょっと年齢が離れていらっしゃいましたけど、七十四歳の奥様がむりやりに、この方を引っ張るようにして病院に連れてこられました。外来で詳しくお話を伺ってみますと、この方は三年ほど前から軽い糖尿病と高血圧と言われて、薬をもらい始めたそうです。ところが糖尿病と高血圧と言われたことがショックでして、いつも高血圧が悪化して脳出血を起こすのではないかとか、糖尿病で目が見えなくなるんではないかと不安で仕方がなくなってきたそうです。このように先生におっしゃったそうですけれど、主治医の先生が「あなたの糖尿病や高血圧の程度ではそんなことはありません。神経質にならないでください」と、軽く聞き流すだけだったので、あまり詳しく話をする余地がなかったそうです。 この方は旧陸軍で活躍なさった方で、この方にとって神経質なんて言われることはもってのほかなんですね。プライドがあってそれ以上先生に聞けなくなったわけです。ズーッと頭の中では大丈夫かなという不安があったそうですが、だれにも言わないで不安に堪えているうちに、朝起きてもスッキリしない。ぐっすり寝られない。憂鬱で何もする気がしない。食事もおいしくないし、糖尿病とか高血圧と言われたのでそれが心配で大好きなお餅は糖が高くなるんじゃないか、沢庵は塩分が高いんじゃないかと食べる気がしなくなって鬱状態になってしまったわけです。 入院なしでも快方に この方の場合は入院はせず、外来通院で高血圧や糖尿についての検査をしました。毎回その場で血圧を測ってご本人にお知らせし、糖尿病についても検尿したり、指から血をとって血糖値を計ったりして、その結果をお話しして、日常の生活についてのお話を聴くようにしました。あと軽い抗鬱剤を出させていただきましたがすごく元気になられました。 この方の場合も、ただ糖尿病と高血圧が心配だというだけではありませんでした。先ほど申し上げましたように、戦争中、陸軍で南方へ行って散々苦労をして、帰国したそうですけれども、それから直ぐ福井地震があって家が潰れてしまった。そこで、三交代制の工場で必死に働いて、三人のお子さんを育て、お家を建てたそうです。今、息子さん夫婦と同居しているのですが、息子さんたちのお金の使い方が非常に気になって仕方がない。食事は贅沢なものばかり食べている。洋服なんか男のくせに金をかけすぎる。車もまだ買い替えなくてもいいんだろうに、大きな車に買い替える。そういうことでイライラし、そのことが口に出てしまって、家族との間がギクシャクしてしまったんですね。また、奥さんには「あまり若い人のことをいろいろと言いなさんな」と言われまして、面白くなくなってしまったということですね。 心が病んで出た症状 結局、自分の身体は成人病で侵される。後継ぎは勝手に散在している。奥さんも病人をバカにする。主治医の若い先生まで、「神経質」なんて自分が一番言われたくないことを言う。すっかり嫌になって、死んでしまったほうがましだというふうに、極端に悲観的になってしまったわけです。 こういうふうに、今、お話ししたふたりは話しやすいという形で申し上げたんですが、ふたりとも持病というものは持っていらっしゃるんですけれど、身体を動かすということ、歩くとか何かを手で持って食べるとか、そういったことには問題はないですし、知的な能力についても問題ありません。痴呆症というようなことも一切ありませんでした。 いわゆる、健やかな方なんですね。健康年齢に合う方なんですけれど、心が健やかはでなかったのですね。人というのは年をとってきますと、ストレスというものが身体の病気を悪化させ易くなりますし、また、二番目の方のように身体のほうが心を病ませるということになりまして、両方が非常に複雑に影響しあっています。 こんなにある心身相互関係の病気 いわゆる、老人病と言われる病気があるのですけれども、このうち心身相互関係が強く影響するだろうと思われている病気というものが、お聞きになるとびっくりするぐらいほとんどの病気に亘っています。 脳溢血、脳梗塞、パーキンソン病、高血圧、狭心症、心筋梗塞、不整脈、慢性肺気腫、気管支喘息、先程の糖尿病とか不眠症など、頭から足の先まで挙げるときりがないくらい数多く見られています。この心に影響するストレスというのものが、やはり年をとってきますと若い人とは違ってきます。 若い人の場合はその人その人の考え方やら性格といった問題の関与が大きいのですが、年をとってきた人の場合は、性格の問題よりも周りの環境の変化というストレスの関与が大きいとされています。周りの環境の変化というのは、もちろん引っ越すといったようなこともそうなんですけれども、例えば配偶者の方が亡くなるとか、お友達が亡くなってしまわれるとか、社会的にも第一線で働いて頼りにされていた立場から退職という違った環境に入るといったようなことがストレスになり得るわけですね。 考えてみたい自立と依存 私がこの仕事をしていまして非常に強く感じるのですが、日本では、ただ、お年寄りの場合だけではなく、他の先進国といわれるアメリカ、ヨーロッパに比べますと親子の結びつきが密接すぎるという事実があります。良いこととか悪いこととかというのではないんですけれども・・・。特に同居率が高い福井県という所ではその傾向はハッキリしています。 親子の密接な結びつきと言うのは、逆に言えば個人個人の自主性が確立しにくいという状況でもあります。どうしても誰かに頼りたくなったり、頼っているつもりはなくても当てにしているというような状況になってきています。お年寄りの方においても、ご本人はそう思っていらっしゃらないと思うんですけれども、誰かに依存して生きていくと言う習慣が普通になっています。 男性の場合を例にとりますと、成人して、就職してからは、まず、会社に依存しております。会社あっての自分、そして自分の仕事ぶり、というようなものが自分を支えています。ところが定年退職して家庭に戻られますと、子供さんたちは自立しておりますので、妻に、奥さんに依存します。この奥さんが年をとってきたり、亡くなったりということになりますと、今度は典型的な例ですとお嫁さんに依存してくる。こう申し上げますとお叱りを受けるかもしれませんけど、こういったお年寄りの方には家庭的役割が少ないということがハッキリとしていて、依存性を自覚していらっしゃらないし、当たり前の昔からのことなんだという意識が強くって、可愛くないお年寄りが多いという結果になっておりまして、結局そのことでご自身も孤独になりかねない状態になっております。 依存するだけという生活では、卑屈なものになってしまったり、依存していることに気が付かないために周りの方を傷つけたりしています。やはり前向きに生きていくためには、ご自分の存在価値があるという、存在意義みたいなものを、自分から見出していく努力が必要なんじゃないかと思います。これは社会生活や、家庭生活の中で自分の役割を作っていくということで、自分一人で孤立するということは良くないと思います。 良い「話し」は双方向伝達 私は日々の診察のなかで、患者さんお一人だけではなく、家族の方など周りの方ともお話をする機会が多いので、その辺を感じるんですけれども、若い奴はダメだとか、話しにならんというふうに決め付けて断絶してしまう方は、そういうことをおっしゃる前に、まず若い人や他の方の話しに耳を傾けて、そしてご自分の経験と照らし合わせてアドバイスをしていくというふうな会話があれば、絶対に若い人も耳を傾けてくれます。実際にそういう若い人がいらっしゃるわけです。そのようにして、はじめてご自分の知識とか経験とかが次の世代に活かされていくんですね。自分の主張だけを言い切ってしまって、反対意見を総て聞こえないふりをしていますと、周りの人は付いてこないし、その方の折角持っていらっしゃる豊富な知識・経験等が活かされないですね。 自分の殻にこもり、自分の意見に固執していくことが一番生活の質を落とすことになるし、阻害していくことになると思います。よく“孤高の人”でよいとおっしゃる方がおりますが、余程ご自分の世界を持って、それを確立した方、例えば、芸術家の方等でなければ(実はその方もそうではないと思うのですが、)寂しい、虚しい生活になってしまうのではないかと思います。 「他人のために捧げられた人生だけが価値のある人生だ」 古い話ですけれども、有名なシュバイツアー博士が「他人のために捧げられた人生だけが価値ある人生だ」という名句を残しましたが、私は老年期に入ってからの生き甲斐ということを考えた時に、非常に示唆に富むものではないかと思います。若い時の生き方と言うものは、自己表現とか、自己実現を目指していくということが目標になると思いますけれども、こういう若い人の生き甲斐と違ったニュアンスの生き方を発見していくためには、今、自分が老年期であるということをきちんと理解することが出発点だと思います。 老年期においても他人を思いやることが十分にできるはずですが、いつの間にか思いやられる受身の対象として、ご自分を捉えている、これではなんの生き甲斐も得られないということになります。年をとっていても、いつまでも他人のことを思いやれる人であることが大切だと思います。 「健やかな心」には若さの裏打ちが ちょっと話がずれてしまいましたけれども、この「健やかに老いるために」というこでは、「健やかに」ということが不可欠だと思います。「健やかな心」を持つということは、いつまでも心の若さを持つことだと思います。誤解を招くといけないのですが、寝たきりになっていてもですね、痴呆症になるとちょっと問題かもしれませんが、寝たきりであっても若くいられるわけですね。十八歳、二十歳の心の若さでなくても、四十代、五十代ぐらいの円熟した時期の若さというものを、持ち続けて欲しいと思っております。 いつでも若い人を支えられるぐらいの心で 私の患者さんの中に非常に柔軟な考え方を持っていらっしゃる方がいらっしゃって、私は三十分ほどの外来診療の時間を持つんですけれど、その中で私が楽しくなるような色んな話をされるんですね。「こういうことは、色んな方と話されるんでしょう」というと「いやあ、先生だけです」と言うんです。「どうしてですか」というと「先生は聴いてくれるから」・・・。でも、私は仕事だから聞くんです。その方も、医師は仕事で、他人で、他に関係ないからということでお話になるのかも知れませんが、ご自分の生活の中にいくらでもそういうチャンスがあるのに、それを見逃していらっしゃるのが非常に残念です。お嫁さんに話してみたらとか、息子さんに話してみたらと言うと、嫁も息子も忙しくて話しもしてくれんとおっしゃるのですけれども、それは話の持っていき方が悪いのかなという気もします。もちろん、若い人も悪いんだろうと思いますけれども・・・。 結局、身体の動きとか体力等は若い人から思いやられる立場で、支えてもらわなくてはいけないかも知れませんが、心はいつでも若い人を支えることができるということを忘れないで頂きたいと思います。これが心の若さだと思います。 実際に登校拒否のお子さんとかの話を伺っている中で、お爺ちゃんやお婆ちゃんの存在が、非常にその子を支えている場合があります。また、反対に更年期になってしまわれたお嫁さんが、お爺ちゃんお婆ちゃんから辛い思いを受けている場合もあります。 このように、年をとった時に自分がどういう役割をするかということを、いつも考えて頂くということが若さを保つ秘訣だと思います。 病気の態様 老人病というものを、先ほどもお話申し上げました、心身症としての心の病気、身体の病気というだけではなく、病気というものをどう捉えていくかということの参考にして頂ければと思いますので、スライドで幾つかをお見せします。 脳の病気 まず最初に脳の病気をお見せします。これは若い方のCTスキャン、頭、脳の輪切りの写真です。これが骨です。頭蓋骨です。ちょっと見えにくいですが、これが脳室です。頭蓋骨一杯に脳が詰まっています。 次に、この方は糖尿病の方なんですけれども、広範囲の脳梗塞を起こされました。血糖のコントロールが非常に悪いからでしたが、右側の脳ですので、左半身が麻痺されました。片麻酔というんですけれども、このあとの治療によって、リハビリと一緒に良くなられました、脳梗塞がある程度残っているんですけれども、普通に動けるようになりました。 これは脳梗塞です。脳梗塞というのは、脳の血管が詰まって血液が行かなくなりますので、その部分の栄養がなくなります。昔は脳軟化症と言いましたけれど、血管が栄養している部分の脳の細胞が腐るんですね。それが、脳梗塞です。 これがCTスキャンなんですけれども、CTスキャンでは水分が黒っぽく写ります。実質といって硬いものが白く写ります。骨が白っぽく写りますが、ここでは白っぽく見えているのが出血、脳出血の部分です。血液は殆ど赤血球なんですが、固体になりますから、出血部位は白く写ります。 先ほどからお見せしています脳出血、脳梗塞もそうですが、どこに病変があるかによって、症状が違ってきます。広いから問題だというわけではなくて、小さいですけれども、呼吸とか心臓の動きを司っている場合は非常に大きな障害になってきます。 これはくも膜下出血です。じわじわっとした出血です。これはMRIという写真です。MRIはCTスキャンと逆に出血部位が黒く見えます。最近、MRIだとかCTだとか言いますから、ちょっとお見せしたんですけれども・・・。 これが脳出血の場合に緊急にされる脳血管造影の写真です。脳の血管を写しだしたわけです。 ここが、動脈瘤です。出血している部分です。内頚動脈と言ってここからズーッと脳の頭蓋骨の中に入っているんですが、両方に分岐しています。動脈瘤というのは、この曲がり角の部分にでき易いんですね。ここで出血しているということが分かって、手術でここを止めるんです。 これは、ちょっと刺激的ですけれども、脳出血を起こされて、残念ながら亡くなられた方の脳の実際の断面図です。この部分に出血があるのが分かります。これは小脳なんですが、ここに出血しています。 これは、皆さんにも、周りの方にも知っていたら役に立つのではないかと思いますけれども、慢性硬膜下血腫という病気です。手術前なんですけれども、先ほどの頭蓋骨があって、脳はこの部分なんです。ちょっと凹んでいるというか、押されているのがお分かりと思うんですが、血漿部分があって、白っぽく写っているのが血液です。それが溜まっているわけです。慢性硬膜下血腫というのは、物忘れとか、尿失禁、歩くのがよろよろしている歩行障害、いつもおしゃべりなのに、あまりしゃべらないというようなことが徐々に進行していきますので、最初は痴呆症と間違えられることがあります。これが、外傷というようなことで起こってくるんですね。硬膜の中に出血が起こって、それが溜まって、脳を圧迫して起こる症状なんです。 これは、同じ方の同じ部位なんですけれども、術後三ヶ月ぐらいのCTスキャンでは全く正常に戻っているのが分かると思います。水が脳を圧迫しているんですから、ここに穴をあけて水をとってしまうんですね。そうすれば、症状もほとんど普通に戻ります。 脳出血もそうですし、硬膜下血腫というのもそうなんですけれども怪我とか事故とかのあと、直ぐに検査をしても所見が出ない場合があるんです。二、三日してから、或いは、一週間ぐらいしてからはっきりしてくるということがありますので、症状的にもそうですが、よく、転んだということで見えて、頭のCTを撮ってみて、何でもないと言われて安心して帰ったけれども、一週間後に意識がなくなっちゃたということがあります。ですから、数日後に表れるということが十分にありますから、ちょっとおかしいなと思ったら、二回も来て神経質だと思われないかなどと思わずに、もう一回再検査をすることをお勧めします。 この方は、手術はしませんでしたが、薬で脳圧を下げました。 この次は、徐々に進行してきたので分かりにくい病気ですが、脳腫瘍です。ここに写っているのが分かると思います。脳腫瘍のCTスキャンは脳出血と違いまして、普通に撮った時は、白く写りません。なんかもやもやとしていて、他の部分と違うなという所見があって、造影剤を点滴で入れましてCTを撮るとハッキリしてきます。 これはMRIです。MRIというのは、少し専門的になりますが、いろいろと条件を替えて検査することができるので、これは黒く写っていますが、次のこれは白く写っています。同じ人の同じ部分を違った形で写すことができます。 心臓の病気 心臓の病変に移ります。心臓も血管による病気です。冠状動脈、冠のような状態の血管です。この動脈が心臓そのものに栄養を与えているんです。その栄養を与える血管が動脈硬化によって詰まったり、狭くなったりして色々な病気になります。これは、その血管を輪切りにしたものなんですけれども、よくコレステロールが問題だと言われますが、コレストロールというのは血管の外にくっついていくのではなくて、しみ込んでいくんですね。そして、血管の内腔を狭めていくわけです。 これは、血管を縦に切ったものですが、段々枝分かれしていくんですけれども、枝分かれの部位に溜まりやすくなってきまして、粥状硬化と言いますが、動脈硬化の病変ができてきます。 次は血栓です。血液の塊です。狭くなったところに赤いものが溜まっています。夏など汗を一杯かいて、血液が粘っこくなったりすると起こりやすくなって、心筋梗塞などを起こしてきます。先ほどの血管が詰まった結果としての脳梗塞と同じで、先に血液が行きませんので、心臓の筋肉が腐ってしまった状態です。心不全という心臓のポンプとしての働きが弱りまして、血管の先のほうに血液が行かなくなってしまうということです。 最近よく言われていますし、皆さんの中にも聞かれていらっしゃる方がいらっしゃると思うんですけれど、心臓の血管の詰まり具合とか、狭まり具合を調べる方法に、心臓のカテーテル検査というのがあります。これは、腕とか足の太い血管に管を刺しまして、心臓のほうまで管を入れていくんですね。そして、心臓に入った。心臓の出口のところから、先ほど言いました冠状動脈というのが出ていますから、その冠状動脈を写し出す検査方法です。これが脊椎ですね。これがカテーテルです。ここからパッと造影剤を入れます。 これで見えてると思いますけれども、コロナリーと言いますが、冠状動脈を開きますと、ここが本当の太い動脈ですね。薄くなっていますのがわかりますか。ほとんど途切れたようになっていますが、先ほどのシェーマで示したように動脈硬化の病変があって狭くなっているんです。途切れたようになっています。通らないわけはないので下の方の動脈は写っています。 今、心臓についても、昔は、心筋梗塞はもうお終いだとか、心筋梗塞を起こしたら、直ぐに死に繋がるというふうに考えられてきましたし、実際にそういう場合もありますが、心筋梗塞を起こして直ぐの時間でしたら、今のような形で写し出しまして、詰まっている部分を直接溶かすお薬を入れたり、そこに風船のようなものを入れていって、膨らませて拡げて開通させるといったことが可能になっているんです。以前のように心臓を切り開くのではなくて、総て血管からやるものですから、内科でも出来る手術です。 肺の病気 次ですけれども、これは皆さんも良く見られると思いますが、胸のレントゲン写真です。これは正常なものです。若い方のものですが、目安としてですけれども、ここが心臓です。ここが肺ですね。ここが横隔膜。内科の医者が診る場合には心臓の大きさですね。それと肺野に色んな病変がないかを見るんです。 次は、見にくいんですが、八十歳代ご老人の方なんですけれど、先ほどとどこが違うかなと思われているかもしれませんが、非常に下肺野という部分が黒いことにお気づきになると思います。ちょっと分かりにくいんですが、この辺とか、この辺が真っ黒に写ります。つまり、ここは空気が多い所なんですね。空気が多いことはいいように思われますけれども、そうではなくて、空気があるだけで酸素の交換をしていないんです。肺気腫という病気なんです。 これは、肺というのはぶつぶつの粟粒のようなものが集まっていまして、その粘膜を通して酸素と二酸化炭素を交換するという働きをしています。肺気腫というのは、ほとんど煙草によるものなんですが、この粘膜のぶつぶつの部分が壊れまして、ただの風船みたいになってしまうわけですね。そのために、そこでは殆ど酸素と二酸化炭素の交換がされません。拡がったままの状態になってしまいます。それを肺気腫といいます。これは、非常にお年寄りには多い病気です。ひどい方の場合は、在宅酸素療法といいまして、酸素をご自分で管理して、いつも酸素を吸っていなければなりません。 酸素の濃度というのは動脈の血液から測るんですけれども、それが健康な方では、九十八パーセントぐらいあるんですが、こういうふうになってきますと、この方は七十パーセントぐらいになっています。こうなりますと、酸素というのは身体中の内臓の働きにエネルギーを与えているものですから、肺部だけの問題ではなく、心臓も弱ってくるし、内臓自身も弱ってくる。それこそ、脳の働きも弱ってくるというふうになります。とにかく、これは煙草が問題ですので、煙草は今からでも止めていただければいいと思っています。 次の写真ですが、この方は分かりやすいですか。この辺に線が入っているのが見えますか。この辺が肺気腫になっているんです。この方はこの辺が黒っぽいし、この辺もそうです。この人は元々結核だった方です。結核の手術はしていませんが、長いこと結核を患っていらっしゃって、結核の病変に肺気腫も合併して、呼吸不全のような状態になっていらっしゃいます。今でも煙草は止めてくださいません。 避けられない老化の良薬は心の柔軟さ こういったように、お年寄りというか、老人病という言葉は適当ではないかもしれませんが、老化に伴う病気というのは、どなたでも避けることは出来ません。時々医者は、何か特別の薬を飲んでいるんではないかと言われますが、医者でも老化は起こってきます。先ほどのような脳の病気とか、心臓の病変は、総て血管の老化現象によるものです。脳腫瘍はちょっと違いますけれども・・・。そういうふうに考えていただいて良いと思うんです。こういったものを防止するためにはどうしたらよいかと言うと、ハッキリ言うと、絶対と言うものはないということです。ただ、血液検査をして、コレステロールが高いとか、レントゲン写真で見て心臓が大きいとか指摘された場合には、こういった病気の原因になり得るということを意識して頂きたいということ。それから、何か症状がありましたら、直ぐに検査を受けて頂くなり、病院へ行くということが、その後の生活のレベルを維持することになるのではないでしょうか。 過ぎたるは及ばざるが如し 色々な食事療法とか、運動療法とかがありますけれども、内科の糖尿病の先生とか、心臓病の先生と違って、これがいいですよというふうな決め付けが出来ない立場でして、これをした方がいいですよと言いますと、患者さんの中にも、それを絶対にしなければいけないと受け止めて、非常に強迫的に、毎日三十分の散歩は絶対に欠かさないとか、ヨーグルトがいいと言われたから、必ず食べないと気がすまないというふうな、強迫傾向と言いますが、頑固に、それだけに目がいってしまう方がいらっしゃるので、私はいつも柔軟にその人にあったものでいいからというふうにお話しします。 私の「健やかな老い」「健やかな生活」というのは、心の柔軟さにあるのではないかと思いまして、お話をさせて頂きました。 終わり
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