純朴な山の郵便配達・不純な出会いサイト

政治ジャーナリスト 小和口亮

日本記者クラブの試写会でこの春、中国映画のアカデミー賞(金鶏賞)に輝く「山の郵便配達」を見た。四月初旬に全国でロードショウに入ったから、既にご覧になった方も多いと思うが、“心と心の仲介人”郵便配達の重要さを想起させる感動の巨編だった。郵政民営化に執念を燃やす小泉純一郎首相にも是非鑑賞してもらい、信書伝達の使命と郵政ユニバーサルサービスの原点がどこにあるかを知ってほしいと思った。参院選を前に政局の見極めがつかない中で、しばし、一服の清涼剤となった映画に紙面を割かせてほしい。

中国語で「那山 那人 那狗」(あの山、あの人、あの犬)と題するこの物語は、一九八〇年代初頭の中国湖南省の山岳地帯が舞台。長い年月、郵便袋を天秤棒に結びつけ、肩に背負い、次男坊という名の犬を連れ、一日四十キロの道のりを二泊三日がかりで山岳の村々を歩き、郵便の集配を続けてきた父親。だが、父親は足を痛め、退職の日を迎えた。

跡継ぎとなる一人息子に後を託すため、息子、犬と最後の旅に出る。天秤棒は大きなリュックに変わったが、新聞、雑誌を含む郵便物は五十キロもあり、峻険な山路をたどる息子の肩にずしりと食い込む。道筋、集配の手順、手紙を運ぶ責任の重さと誇りを動作や言葉で静かに教え込む父親。息子は、寡黙で留守がちな父親に心の距離を感じていたが、村々で信頼を集め歓迎される父親の姿に接し、徐々に尊敬の念と仕事への責任感を深めていく。

緑深い山道と大自然。山を下りて田園のあぜ道で出会った少数民族・トン族の美しい娘。トン族の集落で歓待される村祭りの牧歌的な光景。かつて父親も山里で美しい娘と巡り会い結婚した。そうした家族の絆まで、父子の初めての旅はほのぼのと紡ぎ出している。

印象に残るのは、盲目で一人住まいの「五婆さん」に都会の大学を出た孫から年に一度送られてくる生活費の為替を配達した時だ。父親は孫が書いた手紙が同封されているかのように装い、“弁慶の勧進帳”で読み聞かせるが、婆さんから「毎年同じ内容だね」といわれると、苦笑しながら「後はお前が読め」と、戸惑う息子に白紙を手渡すシーンだ。

それは十一年前、深谷隆司郵政相に同行し島根県出雲市から三十キロも離れた山あいの過疎地を訪れた時の光景を思い出させた。仁多郵便局管内の同地には七十歳以上の孤老が十七人も暮らしていた。郵便局員は四年前から始めた“愛の一声運動”に沿って老婆の安否を気遣い、優しく声をかけ、すっかり頼られていた。この善行は全国に普及している。

日本は林道、農道が開け、峰や峠までバイクで集配できる。だが、少数民族の多い中国の山岳地帯は、二十年後の今も映画と同じで自転車も車も使えず郵便事情は昔と変わっていないという。不便だからこそ中国の郵便事業は輝いて見える。遠く離れた家族、恋人から届く便り。せっせと返事を書いて集配を待つ村人。どんな過疎地、急峻な山岳地帯でも、四季の変化、天候をいとわず集配する配達員。映画は見事に“心の仲介人”を描いていた。

地域住民に溶け込み黙々と奉仕する郵便局員は、どこの国でも尊敬の対象だ。あまねく安くのユニバーサルサービスと長年培った伝統、信頼性。そこに前島密翁が描いた「いつでも、どこでも、誰でも利用できる身近な通信手段」としてとしての郵便事業の原点がある。

試写会を見た日、郵政事業庁の膨大な資料「郵便事業新生ビジョン(案)」を受け取った。その中には、「第三の創業期にあたり、公社化に向かって、一丸となった取り組みを」という足立盛二郎長官の決意表明があった。第一の明治維新、第二の戦後荒廃からの再生、それに次ぐ第三の創業期でも、「郵便事業の使命はユニバーサルサービスの確保であり、今後とも不変」とし、赤字続きの郵便事業を再生するビジョンを掲げている。

郵便事業を取り巻く環境は、IT革命の進展、競争の激化、顧客ニーズの高度化などで大きく変化していると述べ、電子内容証明郵便物、電子商取引を支援するネットショップシステムの提供など、輸送、集配、情報通信ネットワークのグレードアップを提起している。

確かにビジョンが指摘するように、IT革命が進展すると、「紙」の郵便が減少し、電子メールなどの電子的通信手段との間に競争が生じる懸念が強まる。

インターネットを使った通信販売業者は、製造元・卸売り・小売り・消費者のルートとは別に直接消費者に届ける新たな物流を生み出した。小包もIT化の新たな挑戦を受けている。

しかし、最近多発する電子メールの犯罪は目に余る。これが電電民営化の副産物とすれば重大だ。小泉政権になって郵政民営化の論議が再燃しているが、その前段の公社化移行の過程で、もっと公共事業のあるべき姿、情報通信の本質を徹底討議すべきだろう。

それにしても「出会い系サイト」というインターネットを通じた悲惨な事件が多発している。まさにネット社会の病理現象だ。茨城では昨年十月に女性会社員がサイト仲間の男に些細な喧嘩で刺殺され、京都では一月下旬に携帯電話の出会いサイトで知り合った女子大生と会社OLの二人が携帯メールで呼び出され、二十五歳の土木作業員に殺された。

同じ一月には埼玉で、四月には茨城で少年による主婦殺傷事件が起きている。五月には広島と宮崎で、中年男がメールで知り合った若い女性を呼びだし、監禁して逮捕された。昨年十月以来、メル友の女性殺害・殺人未遂事件は五件以上に上る。このほか、婦女暴行、誘拐、恐喝などの凶悪犯罪は後を絶たず、児童売春事件は昨年約四十件もあったという。

驚いたことに五月には、刑事事件を裁くはずの東京高裁判事がメールで紹介された十四歳の中学少女に現金を渡してホテルに連れ込み、児童売春容疑で逮捕された。また、別の高裁判事の妻はインターネットの出会いサイトで知り合った男性にストーカー行為をし、これを友人の検事がかばうというスキャンダルが発覚、法曹界の信頼を著しく傷つけた。

「純粋なガールフレンドを求めています」「恋人、彼氏ができるまで、パパに甘えてみませんか?」「既婚者でも、ときめきの出会いを体験しましょう」・・メル友募集の殺し文句だ。

サイトの掲示板に適当な「ハンドル名」で年齢、身長、趣味など簡単な自己紹介を書き込み、それを見た異性がメールを送ってくれば相手とのやり取りが始まる。出会い系サイトは、数百とも数千ともいわれ、大手の検索会社には百数十万人が会員登録、一日に二十万件を超えるアクセスがあるという。

NTTドコモの「iモード」などネット機能付き携帯電話の普及に伴い、利用者は爆発的に増えている。筆者の携帯電話にも昨今、断りなしに「気に入った女の子の携帯に直電・メールができる!」などの迷惑メールが飛び込んでいる。

「衣食足りて礼節を知る」どころか、世は“心”を忘れた飽食の時代。道徳、宗教を持たない若者は“仮面の出会い”のスリルとアバンチュールにうつつを抜かしている。顔の見えないネット社会。匿名ゆえの安心感、素性を隠したおしゃべり。人妻までが仮想現実(バーチャル・リアリティ)にのめり込み、名もない少年との不倫の末、命を落としている。

電車の中の“親指姫”たちが子羊の群に見え、「姫たちよ、大丈夫か」と叫びたくなるような今日この頃だ。インターネットのポルノページはサンプルだけでも二百枚近くあるそうで、中・高生が夜明かしで見ているという。少子・高齢化などの影響ではなく、学力が低下するのは当然だ。鮮明画像の次世代携帯が普及すれば、ポルノサイトがさらに害毒を流すだろう。警察庁は、出会い系サイトがテレホンクラブと同様、児童売春の温床になっていると見て規制措置を検討し始め、ドコモも迷惑メールの防止に乗り出した。

しかし、電電民営化以来、NTTは儲け主義に走りダイヤルQ2、伝言サービス、テレクラなどで青少年犯罪を助長してきた。顧客情報漏洩の収賄容疑で社員が逮捕される不祥事も後を絶たない。NTTファミリーの収益をあげたドコモは二年間でiモードを二千四百万台も売るなど我が国の携帯電話は六千五百万台を超え、モバイル先進国となった。

国民の二人に一人が携帯を持つ時代。NTTグループは商売よりも公益企業としての自覚と犯罪防止の社会的責任を果たすことを優先させなければならないだろう。日本ではモデルチェンジの度に携帯電話の端末は廃棄処分され、処分数は二千万台に達したといわれる。山の郵便配達の苦労を思えば、中国の山岳地帯に電波塔を建て、廃棄端末を集落に無償配布するなど国際貢献をすれば住民に喜ばれるだろうと、映画を見ながらつくづく思った。

心配なのは郵政公社化の際、郵便事業に参入する民間企業が高いモラルを維持し、信書の秘密を保持して健全な文書のみを送達できるかという点だ。郵政との競争激化のあおりで、出会い系メールに似た、DMまがいの低俗な図面・文書類が茶の間に氾濫しないのかと危惧される。やはりユニバーサルサービスの成否が郵政民営化を占う原点になりそうだ。

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