山の小さな学校で

永田 萌

 少子化が社会問題となって久しい。わたしは戦後のベビーブームの世代だから小学校も中学校も高校もずーっと四クラスか五クラスで授業を受けてきた。一学年に百五十人ほどの生徒がいるのだから卒業するまでまったく同じクラスにならなかった同級生だって多い。

いつだって何をしようとしたって、少ない席を実力で奪い合うイス取りゲームのような学生時代だった。「競争率」という言葉がいつまでもつきまとう。

さてそんなわたしも母親となり、その一人息子の小学校の入学式のことだった。十一年前のその日、講堂には新入生が十七人しかいなくて父兄や先生や来賓の方がうんと多かった。少子化に加えて、わたしの住む京都の中京あたりは典型的なドーナツ現象化の地で、住民の中に子どものいる世代が少なかったのだ。

百年以上の歴史を持つその小学校の統廃合が論議されていた。

明治の頃、町の人たちが子どもたちの教育のためにみんなでお金を出し合って作った学校だから、歴史も思い出も愛着もあるのだ。

息子の同級生のお父さんもお母さんも、この学校の卒業生だという話もめずらしくなかった。十七人の新入生は全員、「一年い組」となった。い組の「い」は「いろは」の「い」だ。でもその学校は一年から六年までずーっと「い組」ばかり。「三組」を作る人数がそろわないまま歳月が過ぎてきた。

その後三年生になったとき、すぐ隣の小学校と統合され、またその二年後、近くの五つの小学校がいっしょになって新しい学校が誕生した。六年生になってようやく「いろは」の三つのクラスができた。

最新システムを備えて、全国のモデル校の一つと呼ばれる新小学校なのに、クラスの名前が百年前と変わらず「いろは」というあたりがいかにも京都でおもしろい。

さてつい三日ほど前のこと。用があって兵庫県と鳥取県の県境にある北の町の小さな小学校に行ってきた。

その小学校は、山に囲まれ海抜四百メートルの峠の上にあり、全校生徒は十三人だった。しかも一年生と五年生は0だった。朝早かったので国語の授業を四年生と六年生が複式で受けているのを見せていただいた。

女性の先生が小さな教室の真ん中に立ち右側は五人の六年生、左側は二人の四年生だった。息子の頃も一学年差の生徒たちが複式授業を受けていてがこれは一歳の差だったから混じっていてもそれほど子どもたちの大きさは変わらなかった。でもこの場合の二歳の差は歴然としていて、五人の六年生はどの子も現代っ子らしく背が高く、二人の四年生よりは頭一つ大きかった。

いったいどうやって授業を?と興味深く見ていると先生は左右の黒板を上手に使って、十分ほどずつそれぞれの学年の生徒に接している。一方がおそわっている間は、他方は自習をしたり話し合いをしたりで、なんともスムーズに時間がたっていく。

感心して見ていると「これから六年生が講堂で狂言を演じますから来てください」との案内が。

「全校生徒もいっしょに見ます」。そう言われて行ってみるとなるほど八人の小さな子どもたちが一かたまりになって座っている。

狂言の舞台は同じフロアに手作りされていた。小道具も衣装もすべて子どもたちが作ったのだとか。能舞台によく描かれているりっぱな枝ぶりの松もちゃんと紙に描いて貼られているのがかわいらしかった。

さて五人の六年生。男の子が二人、女の子が三人なのだがこれがおもしろい。太郎冠者、次郎冠者、主人の三人の役と、説明役と太鼓をたたく役、そのすべてをローテーションで演じていくのだ。女の子の一人ははじめ主人役を演じ、後半は太郎冠者になっていた。

男の子、女の子の区別なく役柄を元気よく演じる子どもたちにふと目頭が熱くなった。あわてて窓の外を見ると、はるかに緑の山々が連なってそのむこうからホトトギスの鳴く声が聞こえてきた。

少人数を心配されたがうちの息子は今でも小学一年生の頃の友達と仲良しで「ちゃん」づけで呼び合って遊んでいる。

山の中の小さな小学校の子どもたちも、決して私たちが思うような恵まれない環境ではなくて、かえって心豊かな小学生時代なのではないかしらと考えさせられるいい一日だった。                                    
                                  おわり