野菜泥棒

和田 梓

この一年の間に無人野菜売り場が、相ついで姿を消してしまった。我が家からはほんの一足、農道に沿って建てられているその掘っ建て小屋は、秘めごとめいて何となく楽しい売り場であった。置いてある野菜も新鮮そのもの、作っている人の顔もおなじみだし、結構重宝していたのである。それに何と言っても「無人」というのが気に入っていた。

最盛期ともなると、これで百円、と驚くほど、枝豆でもキャベツでも、トマト・キュウリなどでも袋は大きくなるばかり。時にはご自慢の漬物まであったりして、よく通ったものである。

都会に住んでいる娘も、一度トマトを買って帰ってからすっかり味をしめたらしい。

「とれたてって、こんなにも違うのね」と、車で来るたびに買っていくようになっていた。並ぶ野菜にも季節の移り変わりを感じ自然の恵みを満喫することが出来たのである。そんな売り場がどうしてなくなる羽目になったのだろうか。しかも二軒もつづけて。その理由は時代を反映して嘆かわしい、の一言につきる結果であった。

袋詰めして売り場に並べ、家人が自宅に入るや否や、車で乗りつけて来て根こそぎ持っていってしまうのだと言う。一袋や二袋のお金が足りないのは覚悟の上であるが、あっという間に車に積んで一つ残らずさらって行くとは、全く情けない世の中になったものだと当主はしきりに嘆くのである。金額にしたらそう大したものではものではないけれど、丹精こめて作った作物を、黙って持っていってしまうのは、もう立派な泥棒、犯罪である。こんな泥棒を二・三カ所まわってやれば、自分の店舗など持たなくても。一商売、一儲け出来てしまうのではないだろうか。

今までこんなことは遂ぞなかった、代金を入れる箱も、この間まではザル、お釣りも自分で持って行ったものだと、このあたりの農夫は口を揃えて言うのである。

我が家から四・五分も入ったところに行くと、狸が売り場にやってくるそうだ。奥の奥まで開発が進み、栖を追われた狸たちが、人間と反対に町に近いこのあたりに住を変えたらしい。

狸は「とうもろこし」が好物のようで、ほかの野菜には目もくれず、そればかりを盗って行くという。夕暮れ時、売れ残りをしまい忘れていると、よく狸とはち合わせをする。二・三匹で来て一つ一つくわえていくらしい。狸が口にくわえて物を運ぶなどあり得ないと思っていたが、そこは細い道ながらも車も通る。身の危険を感じて学習したのだろう。

ある時、小さな狸が「とうもろこし」をその場で食べ出したそうだ。すると親らしい大きな狸が、鼻先で子狸のお尻をとんとんと突つき突つき、三匹とも無事に山に帰って行ったという。車で盗んでゆく人間より、一本づつ狸が盗ってゆく方が、何とものどかでほほえましい。無人野菜売り場には、そんな話がよく似合う。

二・三年前、ロサンゼルスに永住している友人に会いに行った。領事館OBで二世の御主人を交えて四方山話をしていた時、二人が日本の野菜の季節感、豊富さをとても懐かしがった。ほうれん草の濃い緑の葉の根本が、少女の頬のように赤かったこと、大根の葉っぱのひり辛煮、里芋のぬめり、などなど。「私はお野菜はいつも、うちの近くの無人野菜売り場で買うのよ」と私が言ったとたん、御主人が目を丸くしてびっくり仰天した。日本にはまだそんなものが存在しているのか、とても信じられないと。私にとってはそんなびっくりする話でもなく、ごく当たり前の買い物の一つとして言ったことであったのに、かえってこちらが驚いてしまった。彼の言うにはロスには道端に自動販売機など一つもない。もしあったとしたら機械ごと、トラックに積んで盗んで行ってしまうだろうと。

しかしこの数年で日本もすっかり変わってしまった。銃こそないものの犯罪はアメリカ並みである。自由だ、自由だと誰もが言い続けて半世紀もたったのだから、もはや救いようもない。

イザヤ・ペンダサンが『日本人とユダヤ人』の中に「農村を歩いていると、蚊帳をつって人が寝ているのがよく見えた。まるで牡蠣の剥き身が横たわっていたようであった・・」

と書いてあったけれど、無防備な、あけっぴろげな農村の暮らしも、今は昔となってしまった。そろそろ鍵との付き合いもうまくならなければならないようだ。

この頃この周辺にも犯罪の匂いが近づいて来そうな気配がする。野菜泥棒くらいで止まっていてくれるといいのだけれど。

                                終わり