世のなかどうなってるの

―今どきの人権問題―

作家 小林初枝

 はじめに

少年による凶悪犯罪が続出しています。そのほとんどが動機のわからない事件が多いようです。自民党などの与党から、少年改正法案を臨時国会に提出しようとの動きがあります。社会の空気も賛成の声が多いように見受けられますが、少年法の改正だけでは問題の根本的解決にはならないのではないか、という声も一部にあります。

今回私は、こうしたニュース等で大きく報道されていることでなく、私の暮らしの周辺の、ニュースにならない、いわば非行の芽になるような青少年問題を中心に、さまざまな今どきの人権問題を考えてみたいと思います。

お巡りさん、本当ですか

過日、私は万引きで警察に引き渡された少年の反省文を聞く機会に出くわしました。その中で、少年は私たち大人に三つの問題点を突きつけていたように受け取りました。

まず一番目の問題点ですが、少年の父親の運転で家族を乗せて高速道路を走っていると、スピード違反で県警の車に追いかけられたということです。止まった時点で、父親が警察官のポケットに、黙って五千円札を入れると減点なく通過できたということです。

しばらく前のことですが、私は七万円の現金と預金通帳を銀行のテーブルに置いて、所定の用紙に記入している間に、何者かに持ち去られてしまいました。

銀行の勧めもあって警察に届けに行くと、私に対応した警察官は、「七万円くらいの金額じゃあ戻るはずないよ。警察に来る前に自分の不注意を反省しなさい」と、冷たくあしらわれてしまいました。「七万円はお巡りさんにとっては端金かもしれませんが、私にとっては大金です」とムッとなって言うと、「こんな小さなことで警察が振り回されていたらたまったもんじゃない」と言ってのけました。

そんなことが私の脳裏に鮮明に残っていたもので、「五千円くらいで心を動かす警察官がいるのだろうか」と、私は一瞬訝りましたが、昨今の警察官の不祥事が多々報道されるなか、どこにも取り上げられることなく消されている警察の片隅の問題点がまだたくさん残っているような気になってしまいました。

自動改札機の罪

少年の作文の二番目の問題点に入ります。

東京の上野駅から群馬県内にかけて、JRの「新特急」という列車が走っています。停車駅も所要時間もほぼ快速並ですが、特急料金を支払うことが乗車の前提になっています。特急券を購入すると、通学、通勤定期でも利用できるというものです。

ある日少年の父親はこの新特急を利用しました。乗車して間もなく検札の車掌さんがやってくると、「あなた、先程私の切符を見たではないか。何回同じことを要求するのだ」と語気強く言うと、車掌さんは「それは失礼いたしました」と、最敬礼をして引き下がったということです。その時、少年の父親は特急券を持っていませんでした。帰宅した父親は、車掌を騙しきったことを家族に自慢して話したそうです。

この新特急をよく利用する私は、少年の父親のような光景をしばしば目撃します。

仕事で、居住地の駅から新特急に乗車しようと、私は乗車券、特急券を購入して、駅員さんの立っている改札から入りました。若い女性の知人は乗車券のみ購入して自動改札機を通って入りました。在来線は新幹線のように二枚重ねなくても乗車券だけで特急に出入り自由なのです。私が「特急券は?」をと彼女に聞きますと「検札がきたとき買います」との返事でした。その日も車掌さんが間もなく検札に来ました。通路側の席の私の特急券に検印してから、窓側の彼女に「乗車券特急券を拝見させていただきます」と求めました。と、彼女は目をつり上げてもの凄い剣幕で言いました。

「私は先程見せたじゃないですか。仕事でしょ。きちんと覚えときなさいよ」

車掌さんは「それは失礼いたしました」と、その日も丁寧なお辞儀をして去りました。

「あなたは検札の時買いますと、私に言ったじゃないですか」と、私はのどまで来ていたのですが飲み込んでしまいました。ほぼ満席の乗客の中で、私は知人を突き落とす勇気がなかったのですが、もう一つ、駅の自動改札機を利用して、乗車券のみで乗降しようと、あの手この手を考える人が右往左往しているのをいつも見ていて、知人一人を突き出しても恨みを買うだけだと、知らぬ振りをしました。私の態度を見てとった彼女は「年齢はあなたより若いけど、暮らしの知恵は私の方が長けています」といわんばかりの笑みを私に向けていました。

あの手この手といいましたが、特急の最低料金で長距離乗車を企む人も目につきます。

私が上野駅から下りの特急に乗車した時のことです。赤羽駅で、中年の男性が私の隣席に座りました。検札が来ると「上尾まで」と告げて特急券を購入しました。車掌さんは乗車券なり定期券なりを確認しないで特急券を発行しました。その人は持参した缶ビールを一気に飲み干すや、いびきをかいて眠り始めたのですが、間もなく上尾駅です。乗り越しては気の毒と思った私は、「旦那さん、間もなく上尾駅ですよ」と声をかけました。すると彼は私を睨みつけていいました。

「頼まれねぇことをするな」

彼は群馬県境の私の下車駅でも降りませんでした。

この頃、新聞等で「他人の子供もわが子同様にほめたり叱ったりすることが青少年の育成に必要だ」と強調していますが、その日は大人で、怒鳴られただけで済みましたが、過去の私は、高校生を注意して、身の危険を感じるほどの怖さを味わったことがあるので、いつしか護身から、悪事や不正を見ても見ぬ振りするようになってしまいました。

大人の真似ではないでしょうけど、自動改札を利用した少年の不正乗車の話を私は少年たちから直接聞いたことがあります。

「どこの駅も自動改札になったおかげで、缶飲料が余分に飲める」と。「遊びに出かける時、親からは大人の料金をもらい、乗車券は子供券を買う、今、子どもの体格がいいんで、駅員も、小・中学生の見分けがつかないらしく、文句を言われたことはないよ。頭がいいんだんべ」とも。

少年たちに不正とか、罪の意識などいささかもありません。むしろ、自分たちが思いついた知恵だと、得意になっています。考え方の基本は、大人の不正乗車と全く同じなのです。この現実は文明社会のもたらした罪とも考えられますよね。

子どもの人権はどうなっているの

「叱って青少年を育成する」ということから連想的に、私が心を痛めているのは、若い母たちの「幼児虐待」に近い現象です。

わが家の周辺のアパートから、母の罵声、幼児の悲鳴を聞くのは日常茶飯事なのです。

知人にこんな話をしたら、「私も聞いています。この町でも幼児虐待が増加していて、民生委員さんが忙しくて仕方がないと嘆いていました」とのことでした。でも、「民生委員さんには限界があってどうにもならない」とも言っています。「子どもの躾のために叱るのがどうして悪いのか」と開き直る人、「家庭内のことに口出しするな」と門前払いをする者ばかりと言うのです。根気よく訪問していると、間もなく転居してしまうケースがまた多いとも。

私の気になる人々も、三ヶ月か半年くらいで転居してしまった人が多いんです。

過ぎた夏のことでした。洗濯物を干している私に聞けよとばかりに、「こんな環境の悪いところに住んでいられない。他人の生活のお節介をやく者がいるもんで」とうそぶいて間もなく転居してしまいました。私が民生委員に通報していると思いこんでいたようです。

それより怖いのは、いつもいつも怒鳴られている幼児の言葉遣いです。肉親や友達との会話が、相手を怒っているような、母親の口調にそっくりなのです。「三つ子の魂百まで」ということわざがありますが、子どもの性格形成にゆがみを生じないだろうか、と案じています。

母たちは時たま平日の正午近く、着飾ってグループで外出する様子もあります。「今日はどこそこのケーキ食べ放題」とか、「今日はホテルの中華バイキング」などの会話の節々が私の耳に入ります。幼児たちはアパートの一室に集め、外から施錠している様子です。

幼児のみを留守宅に置き、親たちが外出中に焼死したという悲惨なニュースが時々報道されますけど、私の周辺でも、いつ何が起きるかわからないと、思いを煩わします。

昭和一ケタ生まれの私の目から見ると、今若い妻たちは、母よりも女としての生き甲斐なり、幸せを優先しているのでしょうか。それをいけないと私は申しません。でも、子どもの人権を一体どう考えているのかと、批判の目の方が優先してしまいます。

慣習が人間関係を阻害している

横道にそれてしまいましたが、少年の作文の三番目に入ります。

少年の家庭は農家だったようです。

家で、トマトや椎茸を出荷するとき、二段重ねの箱詰めの下段に見栄えの悪いものを入れ、良いものを上に並べているのを見た少年は、「何で、わざわざそんなことをするのか」と祖母に聞くと、「みんながしていることだ」と祖母が答えたというのです。

祖母の答えは何の変哲もない表現ですが、人権問題的視点で見ると曲者なんですね。「みんながしていること=慣習」を無批判に暮らしの中に取りいれていること、差別の土壌を支えることにつながることもあります。

1969(昭和44年)年に、同和対策事業特別措置法という法律が施行になりました。法律の名前は変わりましたが三十余年経った今も生きています。この法律の原動力になったのが、同和対策審議会の答申なのですがその一節にこんなことが書かれています。

(昔ながらの迷信、非合理的な偏見、前時代的な意識などが根強く生き残っており、特異の精神風土と民族的性格を形成している。このようなわが国の社会、経済、文化体制こそ、同和問題を存続させ、部落差別を支えている)

私たちの暮らしの中には、ここに書かれている。迷信というものが、ごく当たり前の慣習として根づいていることがいっぱいあります。なかでも、「善い日、悪い日」の「六曜」、葬儀の際の小さな包みの「清め塩」、そして年末の「喪中の葉書」の習慣は、その持つ意味も考えず、「みんながやっていることだから」と、暮らしの中に根づいているようです。ここで少し立ち止まり、それらの意味を考えてみたいと思います。

先ず「六曜」の問題点です。

一昨年になりますが、私の友人が急死したとき、「友引」にぶつかりました。大勢の人は「友引」を避けるべきだと言ったのですが、住職が「六曜の原型は中国なんだが、日本に渡ってから、釈迦の入滅や宗教的な意味があるような表現に変えられて、あたかも、仏教の教えのような振りをして庶民に広まってしまったが、仏教の教えにはありません。葬式をやりましょう」との説明をしてとり行うことになりました。ところが、公営の火葬場の休日で、結局、「友引」を避けることになってしまいました。

火葬場の話によると、友引に火葬場を利用する人がいないため、職員の一番暇な時を休日にあてるのが合理的という結論から、友引を休日に定めたというのです。非合理的な「六曜」が合理化されてしまったのは、私たちの暮らしの中にも責任があるのです。

次に「清め塩」の問題点ですが、本来仏教の葬送儀礼にはないそうです。四日市仏教会の伊藤英信氏は次のように述べています。

「“清める”ということは“けがれ”があるからで、それは死者しか考えられない。仏教は生と死を一対と教えているので、葬儀は亡き人を通して日々の生を学ぶものと位置づけている。死の直前まで慈しんできた肉親等が亡くなった途端“けがれたもの”とするのは、悲しく痛ましい行為」だと。

さらに伊藤氏は、「死にまつわる迷信は、誤った葬送文化を生むだけでなく、この意識が、中世以降、牛馬の死の処理などの役目を担ってきた被差別部落への差別意識と根底でつながっている」とも言及しています。

最後に「喪中の葉書」の習慣ですが、共立女子大学長の阿部謹也氏は、「神判が可能な『聖と俗』が未分離状態の日本の習慣で、日本の社会に人権意識が根づかない現れの一つ」と、その著書で語っています。

私たちは人権の視点で、日頃から迷信と差別の因果関係を考えて行くことが必要ではないでしょうか。

子どもは大人の背中を見て育つ

またまた、横道にそれてしまいましたが、少年の三番目の問題点に戻ります。

祖母の応答に納得できなかった少年は、母親に同じ質問をしたそうです。母は「これが農家の人々が生きていく暮らしの知恵だ」と答えたというのです。

母親のいう農家の知恵は、いうまでもなく、農家の人々の責任だけではありません。不揃いの農産物よりも姿、形の良いものを購入する傾向にある消費者の姿勢にも目を向ける必要があります。より収入を多くしたいと願う農家の人々の知恵は、私たちが暮らしの中でヒントを作っているのです。これもまた、農家の人と消費者の相互関係なのです。

さて、少年は日頃からこんな家庭生活での矛盾を感じとっていたのに、万引きで警察に補導された時、父親は少年の前で平然と言ったそうです。

「父も母も、家族の誰一人として、今まで、他人さまに後ろ指を指されるようなことは一度もしていないんだぞ。よくも親の顔に泥を塗ってくれたな」と、お巡りさんの前で思い切り殴られたというのです。その時少年は、「大人って、親って、何と都合のいいことだけ言うのだろうか」と深く疑問に思ったと、作文は結ばれていました。

「子どもは親の背中を見て育つ」といわれますが、当然、家族の背中の影響は大きいでしょうけど、私たちは暮らしの中で、すべての大人たちのさまざまな背中を見て、善きも悪しきも吸収して成長すると思っています。非行少年や青少年の犯罪を批判する前に、大人たちは意識して背筋を正しくしておくことが必要ではないでしょうか。

                                               終わり