山の郵便配達

天声人語より

けわしい山の道を、若者と老いた父親が登り、下っていく。犬が一匹、前になり後ろになって走る。若者の背には、重い荷物がある。ぎっしりと手紙や小包が詰まっている。

1980年代初め、中国・湖南省の山岳地帯である。父親は長年、少数民族の人びとが暮らす山中のいくつかの集落に、郵便物を届けてきた。二泊三日かけて百キロ以上も歩く。届けるとともに、差し出す手紙類を預かる。だから荷物は軽くはならない。

帰り着くと、つぎの郵便物を持って同じ行程をまた歩く。家庭を顧みる余裕もないままに働き続けた。酷使した体は衰えた。息子が、代わりにその役割を引き受けることになった。父親は、最初の一回だけ付き添うことにした。触れあうことの少なかった父と子は、あまり言葉を交わさずに歩く。気持ちをうまく表現できないのである。

中国映画『山の郵便配達』は、そうした父子の最初で最後の旅を、淡々と、本当に淡々と描く。都会に出た孫からの年に一度の送金が、孤独なおばあさんに届いた。父親は、添えられた優しさあふれる手紙をおばあさんに読んで聞かせる。彼女は視力を失っているのだ。

が、手紙はない。紙幣を包んだ白い紙を、父親は「読む」のである。そして息子に、続きを読んであげなさい、と促す。戸惑いつつ、息子も「手紙」を読む。口調に優しさが加わっていく。父と子の心が近づく。そんな挿話が、控えめにつづられる。

湖南省の作家、彭見明(ポン・ヂェン・ミン)の短編『山の郵便配達』の映像化である。何のために、だれのために働くのか。親子とは何か。生きるとは、どういうことか。そんな問いかけがあるように思うが、いや、どうでもいい。映画も短編も、実にすがすがしい。虚飾をすべて取り去った人間に触れたからに違いない。                
                                  (了)