豊かな心を育てよう

                                                浄土宗長久寺住職 岩波昭賢

講演は五分前にやめるが一番いい

私の住んでいるより先の、岡谷の川岸というところで講演会がございました。この会は若妻会でございまして、本日と全く対照的でとまどっているところですが、やはり相手が若いと張り切りますね。つい張り切ってしまって時間をオーバーしてしまいましたところ、「先生、時間オーバーですから、やめてください」という紙を出されまして、さあ弱った、どうしようかということで、「みなさんどうしますか、今こちらの公民館の館長さんから時間を過ぎたのでやめるように言われましたが、やめましょうか」

といいましたら、昨日の姉さんたち、もっとやれと言うんです。いや、私は驚きました。今日は一時間ちょっといただいておりますので、五分前にはやめますけれど、講演会というのは、五分前くらいにやめるのが一番点数がいいですね。一分延びるごとに点数が落ちてきます。十分延びたらえらいことになるんですが、昨日は、一時間半の講演予定のところ三十分延びて二時間やりました。それでも誰一人帰りませんでした。その後の評がいいんですね。「岩波先生の話を聞いているうちに、生きる喜びが湧いてきた」というんです。それで、「今日帰ったらうちのお父さんに、ご苦労様、有り難うございますといいます」というので、びっくりしたんです。

お世辞でもありがたいと思いました。この頃私のような者でも、家庭問題、青少年問題などをテーマに、学校、公民館での講演を依頼される事が増えてきました。中学生や高校生を相手に一時間お話しすることはいかに大変なことであるかおわかりでしょうか。小学生でしたらせいぜい十分か十五分、保育園でしたらまあ五、六分というところです。私は小学校や幼稚園保育園の先生方が長い時間子どもを厭きさせないようによく一日中お話しが出来るもんだと舌を巻きます。もっとも子どもは動くから子どもというくらいで子どもがじっとしていることがおかしなことなのかもしれません。

私達は子どもの頃よく親や大人たちから耳にタコができるほど言われたのは「若い時の苦労は買ってでもしろ」という言葉です。正直言って、私はこの格言じみた言葉がなるほどとしんから分かったのは五十を過ぎてぼつぼつ六十に手が届く頃でしょうか。理屈は分かっていても、実感として本当にそうだと納得できたのはこんな年齢になってからのことです。病気をしたり、人生につまずいたり、泣いたり、わめいたり、怨んだり、憎み合い、そして最後にどうしようもなくなった時、ご本尊様(阿弥陀如来)に泣きついて開かれた道、無我夢中で念仏申し自身の到らぬ様を阿弥陀仏にぶっつけた時、如来からいただく慈悲知恵がくずれゆく心を支えてくださったのであります。私は坊さんですからこんなお話しも出来るのですが、皆様も含めてすべての人がそうはいかないでしょう。然し「真」を持つということは人間誰でもが必要になるときがきっとあるのです。

そこで小・中学生や高校生にお話しするコツがあることをお教えしましょう。

先ず、上段に構えて偉そうな話をしないことです。どちらかと言えば子ども達が笑い出すような話が出来たら成功です。

次に子ども達の心の中に入ることです。自分が幼かった頃に返ればいいのです。生の姿を隠さずそのまま出すことです。この点、私ども七十歳の大人は経験豊富です。勉強、遊び、生活のすべてがおもしろく展開します。

昔はこうだったと昔の生活を押しつけないこと。真実をそのまま話せばきっと耳を傾けます。嘘をいわんことです。間違ったら素直に訂正すれば、子ども達は案外けろっとしています。大人はすぐ説教するクセがあります。今の大人は子どもに説教できる器じゃありませんね。却って教わることが多いように思われますがいかがでしょうか。

 

「捨てられない」は、大事なこと

人間というのは、生き甲斐をどこで感じるかということだと思うんです。皆さんのように大先輩にこんなことを申し上げると釈迦に説法で笑われそうですが、みなさん、そのままお年をとられただけでしょう?こんなことをいうと怒られそうですね。

私は昭和2年生まれでございます。七十三歳です。まあ、もうちょっとで七十四になりますが。今聞きましたら、この講演会の世話をしてくれた方は昭和四年生まれというんで、私よりも二つ年下でございます。相手が年下だと聞きますとホッとしますね。相手が上だと今日は弱っちゃったなと思うんですけれど。昨日は若いお姉さんばかり。今日はうって変わって・・・なんといいましょうか・・・。しかしこういうところで話を成功させなければいかんですね。

私は申し上げた時代に生まれましたので、物を捨てることができません。どうしても捨てられないのです。やはり、これは習慣ですかね。本当に捨てられない。皆さんはどうですか?おそらく同じだと思いますよ。お嫁さんから言われませんか、「おじいちゃん、いつまでこんなものとっておくの」と。別にいつまでというわけじゃないが、捨てられない。「おじいちゃん、じゃまよ」といわれて、思わず「うるさい!」なんてね。おそらくこういう価値観というのは変わらないものだと思うんですが、いかががでしょうか。

捨てられない。これは、実は大事なことなんです。

 

十一人兄弟の八番目

「衣食足りて、礼節を知る」というすごい言葉があります。

これは日本人でなければその意味を味わうことの出来ない言葉です。みなさん同じ年代でございますので、あの時代を思い出してください。土手の餅草を食料にした時代を今一度思い出してみてください。

小さな寺に生まれました。兄弟十一人で、その八番目に私は生まれたんです。長男と末っ子はいいですよ、大事にされました。しかし八番目というのは割りが悪いんです。何かというと怒られるのが八番目です。ですからどうしても性格が悪くなってしまうんですね。親には口答えをする、勉強はしないという代表のようなものでした。

今は昭賢という偉そうな名前ですが、昭夫というのが親が付けた名前でした。坊さんになりまして昭賢に変えたんです。これが裏に出まして、証券会社とよく間違えられる。

恥ずかしい話ですが、いつも腹が減っていました。「かあちゃん、なんかくれ」といいますと、小屋の軒下にいって柿を食えといわれました。皮をむいた柿がたくさん干してあるんです。ハエがいっぱいたかっているんですがそのハエをおいながら食べるんです。あれは甘くて旨かったですね。あんなうまいものはなかった。今の子どもにあれを食べさせようとしても食べません。何を食べたいか聞くとコンビニエンスストアに行くというんです。弱った世の中になってしまったものです。

まあとにかく私たちの子どもの頃はものがなかった。だからものを捨てられない。一粒のご飯でも捨てませんでした。思い出してください。

 

心安らかなら眠れる

今日のように午後二時からの講演というのは、私にとって一番いやな時間帯の講演会なんです。もっといい時間帯を与えてくれなかったかと恨んでいますが、一番いい時間なんですよ、寝るには。お疲れでしょう?どうぞごゆっくり。

法句経というお経に、眠りのことが書いてあるんです。私はこのお経が大好きで、腹が立ったときなどはこのお経を読んでお念仏申して、自分を戒めるんです。

「心の苦しみ、悩み、災い多き者は、夏の短き夜を残す。心安らかなる者に夜半の眠りはまどかなり」まどかなりというのは、ぐっすり眠れるということです。ぐっすり休んだ後、東の空がポッと明るくなったころに目が覚める。これは気持ちがいいですね。みなさんの今日の寝覚めはいかがだったでしょうか?今日は一年ぶりで懐かしい友達に行き会うなんていうと、夕べは眠れなかったんではないでしょうか。あいつは元気かな、どんな顔をしてくるかな、なんて考えると眠れませんよ。夕べ眠れなかった方は、お休みになるのは今が絶好の場でございます。

心安らかなる者は眠れるんです。心に苦しみ、悩み、災いある者は眠れない。仏教では煩悩といいます。煩悩多き者は眠れないんです。おそらくみなさんは方はそんな境地を脱却されて、もう悟りの境地に入られた方ばかりですね?みなさん悩みなんてないでしょう?ええ?多少はありますか?多少なんていうのは幸せですよ。今は悩みで眠れない人がいっぱいいるんですから。

 

おばあさんがつけた鍵

私の家の近くに、十七歳の高校生の孫をもったおばあさんがいます。

今日は実は私の寺で御詠歌の会というのをやっていまして、それを家内と副住職にまかせて、こちら来たんですが、そのおばさんが会に来ているんです。御詠歌の会の後の茶話会が楽しいんだそうです。そのおばあさんが、近頃危険なものだから、部屋の入り口に鍵をつけてもらったというんです。泥棒が多いという話だから、その用心のためかなと思ったら、そうではないんです。自分には十七歳の孫がいるからというんです。嫌な話ですよ、みなさん。家族不振です。これじゃ人間幸せになれません。

日本には素晴らしいものがあったはずなんですが、みなさん忘れています。私も、ここにいるみなさんも、みんなが忘れているんです。本当は内在しているはずなんです。これを出さなかったら恥ずかしいですよ。何のために四十年、五十年と世の中に奉仕してきたのか全部が水の泡です。

もしも私の話がきっかけになったら、みなさん世直しをしていきましょう。世直しをするのは、経験のない者にはできないんです。物の尊さがわからないものに世直しができますか?感謝の気持ちが持てない者に、今の世の中をよくできますか?

 

行儀は悪いが運動神経がいいから・・・

戦争中、私の寺には、東京は中野区桃園尋常高等小学校の三年生と四年生の子ども達が、学校を焼かれ、家を焼かれ、親と離ればなれになった子ども達六十四人が学童疎開に来ました。それは本当に可哀想だったですよ。

でも、私はその子達とたった四ヶ月しかいっしょに生活しませんでした。というのも、昭和十八年の六月二十日、私にとっては人生の転換の日でしたが、海軍の志願兵になったからです。

その当時は、若者は全部、お国のために志願せよというんです。松本の連隊から配属将校が来ていまして、長男だけは端に退かすんですよ。三男、四男、そして八番目なんていうのは一番前に並ばされます。その将校が「岩波、前へ出ろ」というんです。そして、「お前は行儀が一番悪い」といいます。そりゃそうですよ、小さい時分から立たされてばかりいたんですから。「しかしお前は運動神経が発達している」と。別にオリンピック選手になるために訓練したわけではありませんが、毎日が強化訓練のようなもの。お袋が置いた物をいかに速くとって逃げるかというのをやっているんですから。かりんとうなんて置こうものなら、そりゃ速かったです。あっという間に両手でつかんで、ポケットに入れて、コラなんていわれるころには百メートルは逃げていますから。「運動神経がいいから、どうだ、飛行兵にならんか」というんです。

 

七つボタンの予科練に

「お国は、お前達のような若い力を待っている。どうだ、志願して飛行兵にならんか」なんて、配属将校に毎朝いわれるんですよ。で、私はお袋に内緒で、名古屋の鎮守府のあるところで、飛行予科訓練生(海軍の七つボタンです)の試験を受けに行きました。

しかし妙なもので、受かりたい、受かりたいと思う人は受からないですね。隠れていくような者が受かっちゃうんですね。

結果が学校に来ます。校長に呼ばれて校長室に行きますと、合格通知が来ている。

「先生、弱った。俺はお袋に何もいっていないんだ」といいました。父は早くに亡くなっていましたから。校長先生は、「そうか、お母さんにいっていないのか。じゃあ、俺の後についてこい」と、それでどうしても予科練に行くということになりました。

六月二十日、私は二十二日の生まれですから、後二日で十八歳、つまり十七の時でした。初めて東京というところに行きました。そしてそこから、茨城県の土浦というところに連れて行かれました。土浦海軍航空隊です。つくば万博があったときに行きましたが、霞ヶ浦が懐かしかったです。ここで何度顔をひっぱたかれたり、水の中に顔を突っ込まれたりしたでしょう。

このとき、入隊記念に尾頭付きが出ました。

みなさん、今の家族の食生活をごらんになってください。本当に見事です。この見事な食生活のことを、一昔前にみなさんは想像していましたか?誰も想像しなかったでしょう。私は夢のように思います。本当に有り難い。思わず手を合わせて「南無阿弥陀仏、ちょうだいします」と感謝の言葉と頭を下げなければ、口に入れることができません。それほど今は贅沢です。

 

物で栄えて、心で滅びる

私は高田好胤(奈良薬師寺元管長)と大の友達だったんです(私と同年代なんですが、一昨年亡くなってしまいました)が、彼が講演に来て面白いことをいいました。

「岩波さん、これからは坊さんの責任だよ。これからの世直しは坊さんがしなくちゃいけない。こんな世の中だったら仏法が滅びる。仏法が滅びるということは、日本が滅びるということだ。岩波さん頑張りましょう、俺も頑張る」と。

物で栄えて、心で滅びる、と私は言いたい。このままで行ったら、日本は必ず物で栄えて、心で滅びます。衣食足りて、礼節を知るうちはいいですよ。衣食足りすぎて、礼節を欠く世の中がはっきり言ってきているでしょう?その中に私たちはどっぷりと浸かっているんです。

言葉は汚いですけれど、「もう俺たちの時代は終わった世代は変わった。俺たちはやるべき事をなし終えたから、責任はないんだ。後はこれからの若い連中にやってもらえばいいんだ」という年寄りが多い。私はとんでもないと申し上げたいんです。

私も身を粉にして全国を飛び歩いております。日本をどうするのか、日本を築いてきた仏法は、仏様の教えは・・・・と。

 

伊藤博文と福田行誡

明治の初めに廃仏毀釈、仏教排斥運動というのがあったのをご存じですか?伊藤博文あたりが旗を振って、松本あたりでは、儒教の影響を受けた小笠原の殿様自身が旗を振ってやった時代があったんです。

このときにものすごい話があるんです。

伊藤博文と同級生だった、福田行誡という素晴らしい浄土宗のお坊さんがいたんです。東京タワーのすぐ下に芝・増上寺というお寺があります。ここは浄土宗の本山になっていて、徳川家の菩提寺でもありますが、この福田行誡という人は、増上寺の管長様・大僧正です。伊藤と同じ山口県出身です。この二人が同級会であったんです。

伊藤は福田に

「今、明治政府は、日本の宗教を一本にしたい。日本は神代から伝わる神道という宗教があるのだから、ほかのものはいらない。それを一本にしようと考えている。福田君、久しぶりだが、君は増上寺の偉い坊さんになったというじゃないか。君のような優秀な男が、坊さんをやめて神主になってくれたら、日本の宗教は倍加する。ぜひ坊さんをやめて、神主になれ。今我々の行っているのは仏教排斥運動だ。よそから来たものはいらない。福田君、俺に協力してくれ」といったのです。

 

感謝のできない人間に国は育てられない

それをじっと聞いていた福田は、

「伊藤君、もういうことはないか、いいたいことはそれだけか?それじゃ聞く。伊藤君、君は誰から生まれた?みんなの前でいってごらん、君は誰から生まれた?」

というと、伊藤は、「お袋だよ」とすると、福田は「あんたのお袋は伊藤家の生え抜きか?」と聞きます。「いや、お袋は○○家から嫁いで・・・・」と伊藤は答えます。

「じゃあ、君のお袋はよそものだな。君は今よそものはいらんといったな。よそものは排除するといったな。じゃあ、君のお母さんを追い出すか!君は日本を背負って立つ稀代の政治家だ。ここをはき違えたら日本は滅びる。伊藤君、日本の家庭はどこへ行っても、神棚というお父さんを祀り、仏壇というお母さんを祀っている。一軒の家の中に、お父さんの座、お母さんの座にきちんと座っておられて初めて家庭というものが成り立っているんだ。よそものは追い出すということで、お母さんを追い出したら、家庭は成り立っていくのか?伊藤君、了見違いだ。今の運動は日本のためによくない、やめたまえ」といったんです。この福田の言葉で、あの大運道がやめられたんです。

伊藤もしまったと思ったんです。先祖を大事にできないような家庭や国民、感謝の持てない人間に、立派な国を育てることができるかということなんです。みなさん、これは当たり前のことでしょう。

皆さま、ついでと申しては失礼ですが、廃仏にまつわるもう一つのお話しをお聞きください。信州といえば、善光寺、善光寺といえば一光三尊の阿弥陀如来(両脇仏は向かって右が観音様(お慈悲)左が整至様(お知恵)で有名です。善光寺は天台宗を基とする大勧進と浄土宗を基とする大本願に分かれておりました。両宗が本尊仏をおまつりしているのでございます。私、岩波は大本願様にご奉仕させていただいております身でございますが、大本願様は代々ご住職様が宮家から御下降なされることで有名です。ただ今の御住職(ご法主・お上人)様は第百二十一代目の鷹司誓玉上人様で、つい昨年一月に九十四歳で亡くなられた、第百二十世一條智光大僧正の跡をお継ぎになられたお上人様でございます。

この大本願様の世をお継ぎになられた誓園上人様のお話を申し上げたいのでございます。明治七年でしたか廃仏毀釈の波がおこりますと明治政府は全国の寺院に対して皇族復帰令という命令を出しまして、皇族から寺院等にお下がりになった方々は全部還属して元にもどるようにというお達しでございます。

この時の誓園上人のお取りになった御姿はあまりにも有名で、後世にその名を広めました。「身にまとった袈裟衣はとり得ようが心につけた袈裟衣は取る方法がない。剃刀をもって剃った黒髪はのばすことも出来ようが心に剃った黒髪はどうしてのばすことが出来よう」と言われ、一たびかたく仏前に誓った身であるから、たといいかなる迫害を受けようともこの度の仰せには随い得ない。我が身は終生仏弟子として念仏弘通のために捧げよう、と皇族の身分を捨てられ久我家に入籍、皇族の身分を捨ててまで所信を貫き、善光寺を守り抜かれたのであります。私ども僧侶は、この姿勢に大いに見習わねばならないと思うのでございます。廃仏の危機を乗り越えることに尽くされた福田行誡上人と共に、日本の宗教史上に永く伝承されるお話しでございます。

 

何事も過ぎたるは及ばざるがごとし

みなさんは、長年、逓信関係の仕事に携わってこられて、大変ご苦労があったと思います。じゃあ、今は苦労がないでしょうか。そんなことはない、人間関係に始まって、また違った苦労が山積みされていると思います。苦労のない人生なんて誰にもありっこないんです。山頭火の句ではありませんがみんな大きな重荷を背負って、毎日、毎日歩いているんです。その中で感謝のない人間というのはゼロでしょう?みなさんどうです?

私が予科練に行って、土浦を出たときには百三十人いたのが、終戦を迎えた長崎の大村航空隊では、たった四十三人しか残っていませんでした。飛行機の上で死んだ者もいますが、飛行隊にいながら飛行機の上では死ねないんです。それは哀れなものでした。

要するに、今の生活はあまりにももったいないさ過ぎるんです。過ぎてはいけないんです。過ぎたるは及ばざるがごとしなんです。じゃあ、どうするか。昔の生活には戻れない。でも、その中で、何を取り戻すかといったら、感謝の気持ちを、姿勢をあらわさなければだめです。その感謝の姿勢を表せるのは、私を含めて年寄りなんです。

 

人と生まるるは難く・・・

年金などで日本は本当にたいへんですが、今のお年寄りは幸せですよ。

私はこの間大病をして、お医者さんからもうだめだと言われました。健康には絶対の自信があったんです。予科練で鍛えた体、誰にも負けないと思っていたんです。まあ、これが過信なんだそうですが、信じ過ぎなんです。

お釈迦様は無病息災と言いません、一病息災なんです。みなさんもこの年になると、あちこちにガタがきます。ガタがくるなかでも、毎年こうやってみなさんと集まることができるなんて、感謝一つですよ、本当に。

こうやって集まるメンバーも、失礼ですが一年ごとに変わっていませんか?私たちも同級会をやると必ず見えなくなる顔があります。二年ほど前に私の寺で同級会の慰霊祭をやったんですが、こんなに大勢が死んだのか、知らず知らずのうちに年を取っているが、今こうして生きているということが有り難いといいますよ。

私は偉そうにお説教をするんです。

「人と生まるるは難く」と観無量寿経に書いてあるんです。人として命をいただくということは、高い空から糸を下ろして、荒れ狂っている波間を通して、そこに沈んでいる針の穴に糸を通すほど尊いという例え話なんですが、地球上には何十億という人間が住んでいて、掃いて捨てるほどあると思っているでしょうが、とんでもない。人間として命をいただくということは、実に希なんです。高い空から糸を・・・という不可能なことです。その不可能の命を今いただいているんです。

 

家庭での感謝ある生活

私は今偉そうなことを言っておりますが、ひょっとすると前世は猫か犬だったのかもしれません。ひょっとすると地獄、餓鬼、畜生道で迷っていたかもしれません。たまたま不思議な縁で、六道を這いめぐっているうちに、ひょっと人間界に生まれた。人間界に生まれたということは、いいことをして、一生世のため人のために奉仕し、そして六十年、七十年の人生を終わって、また人間界に戻ってくると私は考えています。ですから、みなさんが今いいことをしなければ、この次はどこに生まれるかわかりません。

「人生生まるは難くやがて死すべきものの今命あるは有り難し」

感謝です。感謝のある生活をする。

じゃあ、どこでするか。みなさん、感謝の生活をどこでしたらいいでしょうか?それは家庭です。これが土台です。簡単なことなんです。

今日はおじいちゃんはいそいそと出かけていった・・・おうちのみなさんから見れば、いそいそと見えたでしょうね。おじいちゃんは一年ぶりで友達に会える、その後ろ姿を見ていたら、いってらっしゃい、楽しい一日を過ごしてらっしゃい。おじいちゃんが元気でよかった。そんな気持ちでおうちの方は送ってくれたんだと思います。

 

心筋梗塞で倒れて

私はこの間、急性心筋梗塞で倒れたんです。六月二十四日の土曜日の晩に倒れて、二十五日の朝発見されまして、意識不明でした。もうだめだと思ったそうですが、私の寺のすぐ横が辰野総合病院です。いや、いいところに寺があるんですよ、せひ遊びに来てください。病院のすぐ横がホテルのような特別養護老人ホームです。その横にはお墓もあります。そしてお寺。これで全部揃っています。

その総合病院に救急車で運ばれました。当直の先生が「方丈様、これはたいへんですね」「いや、私は岩波です」と。お医者様は私のことを方丈様と敬って呼んでくれているのに、馬鹿なことです。その先生のお陰で私は本当に助かりました。

「方丈様の病気はここではだめです。すぐに信州大学へ搬送します」といったんですが、日曜日で病院がいっぱいで、断られたというんです。じゃあ、次の病院その次の病院とあたってくれたんですが、全部だめ。救急でも断られるんですね。

私はベッドでじっとしています。すると、「あっ、待てよ。伊那の中央総合病院に、信州大学の心臓カテーテルをやる班が来ているはずだ。どうかいてくれますように」と先生が必死ですよ。電話をしました。これが運命の別れ道ですね。すぐに連れてきなさいということになりました。

救急車には看護婦さんと、私の大学生になる孫が乗りまして、十五分くらいで辰野から伊那まで着くんですね。速いですね。着くと待ち構えていまして、すぐに始めますと。

 

当たり前のことが有り難い

「予備検査ができないので、もし失敗したらすぐに切ってください」と外科の先生が立ち会って、心臓カテーテルです。大腿部の動脈から入れるんですね。モニターで全部見ながら、動脈の狭窄したところを広げ、それから狭くならないように金属を入れて固定したんです。そんなことで九死に一生をいただいて回復をいたしました。

みなさん、感謝と自由とがうまくくっつきませんでしょうか?

人間にとって自由というものが、どれほど有り難いものなのかということを感じました。自由に自分のことができるなんていう、こんなに有り難いことはありません。

点滴の本数が、八本が七本、七本が六本、五本、三本、二本に減っていくときのうれしさ、最後に導尿の管を取ってもらったときのうれしさ。人間にとって、普段当たり前のことが、どれほど有り難いことなのかということがわかりました。

 

有り難うの波紋

当たり前が有り難くなってきますと、家庭生活も変わってきます。おそらくみなさんが今日お帰りになりますと、「おじいちゃん、お帰り。疲れたでしょう」といわれるでしょう。そのときに何と答えますか?

「ありがとう。みんなのお陰だ。ありがとうよ」

それだけでいいんです。ぜひ、ありがとうという言葉を使ってみてください。

おじいちゃんが、今日帰ってきたら、ありがとうと言った。その波紋がどういう形で家人の心と心に伝わっていくか。もっといい言葉もありますよ、でも、ありがとうという言葉の裏側に、生かされている喜び、今日の健康の喜び、そして家族の思いやりのすべてがその中に入っているんです。

「おじいちゃん、お帰り」

「ありがとよ」

「今日、どうだった」

「うん、楽しかったよ。ありがとう」

「そんなによかったの」

「うん、よかった。今日の講演かよかった」

と感謝の気持ちで帰ってきたということになるといいですね。

 

“こそ”の二の字のつけどころ

そして「今日の先生はうまいことを歌ったぞ。『世の中は“こそ”の二の字のとけどころ 乱るるも“こそ”収まるも“こそ”』」と伝えてください。

「おじいちゃん、お帰り。疲れたでしょう」

「うん、ちょっと疲れた。でもな、心地よい疲れだ。じいちゃんな、いろいろと苦労を積んできた。一時は人生思うようにならないことも数々あった。人を恨んだり、憎んだりしたこともあった。でもな、じいちゃんが今日までこうして頑張れたのは、お前達の協力があったればこそだ。じいちゃんが困っていると、長男のお前が『何をくよくよしているのだ、お前様の持ち前で頑張ってくれ、俺たち協力するから』といってくれた。あのときのお前の言葉があったればこそ、じいちゃんが今日まで頑張ってこれたんだ。家族の思いやりっていうのは有り難いものだ。嫁のお前もいっしょになって、くよくよしないで頑張ってちょうだいといってくれた。そんな一言に俺は励まされた。あの言葉に励みを感じたればこそ、俺は頑張れた。思えば人生七十年、俺を支えてくれたのは家族のお陰だ。お前達のやさしい心があったればこそだ。有り難うよ」

“こそ”なんです。感謝でつけるんです。

 

有り難うで、二級酒が一級酒

いいですか、ぜひ使ってみてください。お仕着せとは違うんですよ。どうせ飲むなら、旨い一杯を飲みましょう。苦虫を噛みつぶしたような顔をして酒を飲んでも旨くないです。家庭で、思いやりで、有り難うといって飲んでごらんなさい。二級酒が一級酒になるかもしれません。

私は医者から、酒、ビールはいけません。焼酎ならちょっとだけといわれています。

このちょっと、というのは旨いもんですね。ちょっとが旨い。もうちょっと飲みたいけれど、そこでやめておくんです。それでも家内はちょっと量が多くないかといいますからね。そうやって、じっと見守っていてくれるんです。ですから、「ごちそうさま。有り難う」といって、そのあと本堂に行って、お念仏をあげてくるんです。

夜食はだめ、塩分はだめといわれて、なんだか切なくなってきます。昔は、まずいなら醤油でもかけて食べておけというところですから。ですから、今の生活は厳しいです。しかし、その厳しさに耐えてこそ、幸せがまっています。

その幸せは自分一人のものではない、家族全部の幸せです。そこから、おじいちゃんの存在価値が生まれてくるのです。

 

今日から一つ、言葉の感謝

仏教では、私ども人間の「行い」のことを業(ごう)と言います。これに三つありまして、先ず身体の業(行い)、次が口業(くごう・言葉の行い)、三番目の意業(いごう・心の行い)であります。

身体の中で一番大切なのはやはり手でしょうね。手の使い方はむずかしいですね。物を作り出したり他人様に物をあげるのも手ですが、盗ったり殺生するのも手ですね。その人の置かれている心理状態によって手の使い方が変わってくるのです。なぜ、十七歳の手は乱れているのでしょうか。これは十七歳の少年が悪いのではなく、生命の尊厳を本気で教えようとしない大人や学校、社会、家庭教育が悪いのです。今国を挙げて教育改革をやろうと一所懸命です。このことは、極めて当然のことですがいくら制度を変え法律を作っても、魂が入ったものでなくては意味がありません。

私は我田引水かも知れませんが、仏教の教え(宗教情操)が大切だと考えています。次に口の行いですが、これは言語の世界ですから説明の必要がございません。私どもが一日の生活の中でほんとうによく休まずに疲れもせずに使っている言葉であります。昔から口は禍の元と言いまして、争いは必ずと言ってよいくらい言葉の端から生じます。どなたの時だったでしょうか、一つの言葉で喧嘩して、一つの言葉で仲直り、一つの言葉でほめられて、一つの言葉で泣かされた、一つの言葉はそれぞれに一つ心を持っている。

つまるところは意(こころ)にあるのです。仏教は私ども人間の心の持ち方について正しく教示しております。一日の行動も、言葉もすべて私どもの心の置きどころによって定まっております。

やることはほかにいくらでもあるでしょうけれど、今日から一つ、言葉の感謝・・帰ったら、有り難うみんなのおかげだ、というのをやってください。

お嫁さんがびっくりします。おじいちゃんが一日で変わって帰ってきた。そんないい講演会なら毎週やってくれればいいと。

つまらないお話しでございましたが、今日は限られた時間でのお話しでございました。私の話は聞き流してけっこうでございます。みなさんがたそれぞれ立派な人生経験、人生観、これからの目標をお持ちであろうかと思いますが、もし爪の垢ほどでもお留めいただければ、今日辰野から来た甲斐があったというものでございます。どうも有り難うございました。

                               合掌