山登りを始めてみませんか

日本登山インストラクターズ協会理事長 岩崎元郎

  

効果を実感できる登山

中高年登山がブームである。なぜか。キーワードは健康という二文字にあると私は考えている。わが国は世界に冠たる長寿国と教えられている。しかし、それは間違い。長寿ではなく長命に過ぎないという指摘が、さるお医者様からあった。新聞記事で知ったのだが、目からウロコが落ちる思いがした。誰だって長命でなく長寿を願う。それで昔、紅葉キノコがブームとなった。アロエ健康法なんていうのもあったような気がする。ココアがいいといわれれば売り切れとなり、赤ワインがいいといわれれば、誰も彼も飲む酒は赤ワイン。

しかし、ココアや赤ワインがどれだけ健康にプラスしているか実感できない。できることなら実感できる健康法をわが身に採用したいと、誰だって考えることだろう。「山はいいなぁ、元気になるよ」と山内賢さんがいう。「山登りは一生の趣味として足るもの」とは、みなみらんぼうさん。そんな言葉につられて山登りを始めてみた方がたちまち山にとりつかれる。血液の循環がよくなる。新鮮な酸素が身体の隅々まで供給されるから、頭はスッキリ、身体はシャキッとする。足腰の筋肉はきたえられて疲れにくくなる。空気はうまい、水もおいしい。吹く風はさわやか、頂上に立ったときの達成感にはひとしおのものがあり、四囲の眺望は気分を雄大にしてくれる。日本国中、山だらけ。登るべき山は次から次へと目の前に登場してくれるから、街歩きと違ってすぐに飽きてしまうことはない。中高年にとって効果が実感できる健康運動なのである。


山に向かう前に

そうか、それじゃぼくもやってみるかなんて思い立たれて次の日曜日、Gパンに運動靴なんていう出で立ちで、山に向かう電車に乗ってしまう、なんてことはしないでいただきたい。

山は非日常の世界である。このことはしっかり頭にたたき込んでおいていただきたい。街中ではひっくり返って骨折すれば、救急車が飛んできてくれるが、山の中では救急車は走りようがないではないか。こんな自明なことに気づこうとせず、日本の安全神話を疑いもしない中高年登山愛好家が多すぎるような気がする。山の中での安全は、自分で守るしかない。それが登山をダイナミックにしている背景にも気がついていただきたい。「安全登山を心がけて欲しい」というのは、登山関係者のすべての願いだ。その具体策として提唱しているのが「安全登山の十ヶ条」。以下に記すが、これから山登りを始めようとする人に参考にしていただければ幸いである。

1 家族の理解を得ておく

2 装備、服装を整えておく

3 体力を養成しておく

4 技術を習得しておく

5 知識を蓄えておく

6 計画を万全にしておく

7 いい仲間を身近に育てる

8 リーダーシップが発揮できる
 
 9 メンバーシップが発揮できる

10       山岳保険に加入しておく

初心者は身近に経験者を見つけて山に連れて行ってもらい、実際山に登りながらハウツウを学び、ノウハウを身につけていくのがベスト。とはいっても、そうそう都合のいい人が見つかるわけではない。まずは入門書を買ってきて、頭で山を知ることから始めてみてください。テマエミソで恐縮だが、『山登りでも始めてみようか』(山と渓谷社)『中高年のため登山学』『同・Q&A』(NHK出版)などがお勧め。次に身近なエリアのガイドブック、ガイドマップを購入する。「山を知り己を知らば、百山するも危うからず」とは私の持論。いきなり日本アルプスなどを目指すのではなく、身近な低山から始めることが安心で安全なのだが、どんな山があるのか知っておかなくては始めようがない。そのためのガイドブックであり、ガイドマップである。前者としては『ヤマケイアルペンガイド』(山と渓谷社)『山と高原地図』(昭文社)を紹介しておく。Kochan注:九州の山もある)

 

装備と服装

装備・服装については登山用義専門店をのぞくのが早道だ。Kochan注:熊本の方は「山の店シェルパでOK」)
登山靴、ザック、雨具は装備として大切なものだし、山登りを代表するものといってもいい。という考えで、私は「登山者の三種の神器」と呼んでいる。テニスにはテニスシューズ、バスケットにはバスケットシューズがあるのと同様、山登りには山登り専用の靴を用意した方が安心で安全。雪のない一般登山道をたどるのであればトレッキングシューズと呼ばれる靴で文句なし。

ザックは、日帰りから山小屋1〜2泊の夏山登山で20〜30gの大きさのもの。デーパックのように小さいザックだと入りきらないでカメラを手に持ったり、水筒を肩にぶら下げたりすることになる。初心者に限らず山歩きは両手を空にしておくことが原則。肩に水筒をぶら下げてでは歩きにくい。
雨具は高価ではあるが、ゴアテックス製レインスーツが最良だ。三種の神器は、登山者であるということの証と自覚をこめて、高品質のものを購入していただきたい。安いものは運がいいと良品にあたるが、並の運だとそれなりでしかない。高いものは、運が悪いとハズレをつかまされるが、並の運だとそれなりの品質はある。登山は生命がかかる遊びであることも、忘れてはなるまい。

ズボンは伸縮性があって乾きやすい素材であること。専門店にはファッショナブルな登山用ズボンが並んでいるが、これから始めようとする人はジャージーのトレーニングパンツでOK、Gパンはだめよ、だ。下着兼用となるTシャツは綿は絶対にダメ。これだけは専門店でダクロンQDなど、新素材のものを購入すること。行動着となるシャツは、ウールと化繊の混紡のものが、私は好きである。その他必要な装備は別表を参照してください。

 

歩き方

さて登山口に到着。いきなり歩き始める人が少なくないが、まずは準備体操、特に太もも、ふくらはぎのストレッチをしっかりやっておこう。地図を広げて現在地を図上に確認してから歩き始める。

「ちょっと待ってそんなに速く歩いちゃダメ」
 「いつもこのスピードで歩いていますが」
街歩きのスピードで山を歩いてしまったら、たちまちハーハーゼーゼーしてしまうことを山を歩いたことのない方はご存じない。

あの人気テレビ番組,NHKの「ためしてガッテン」でも、山歩きはゆっくりがベストであることが証明されている。平地を空身で歩くと分速120mで、心拍数は120に上がってしまう人が傾斜7度の坂道を10sのザックを背負って登ると、分速60mで心拍数は120に上がってしまう。ゆっくり歩きの目安は分速30m程度になるということ。

山を歩きながら速度など計測していられない。最も重要なポイントは「歩幅を小さくする」ということだ。

街歩きでは、靴が前に出て上肢から下肢が一直線となる。山歩きでこれをやると、結果として段差が大きくなるから筋力を消耗する。体重がスムーズに前足に移動しないから、バランスを崩しやすく、転倒滑落の原因になる。中高年者の山岳事故で最も多いのは下りでの転倒滑落だ。

後足を前に出したら、ヒザから下は鉛直方向に着地させること。ヒザから下を一脚と考え、その足の上に上体を乗せてやる。歩幅が小さくなるから、段差も小さくなり脚力も消耗せず、体重はスムーズに移動されるからバランスを崩すことこともない。「岩崎流ゆっくり歩き」の極意である。

この歩き方にストック(杖)を併用すればまさに鬼に金棒、安心で安全ということになる。ただし、ストックは「自然に優しく、他人に優しく、自分に優しく」を心がける。石突きにノンスリッププロテクターを着けて、登山道をほじくり返さないようにする。前後にふって他のメンバーに迷惑をかけない、岩場など手にぶら下げていると危険なところでは、ザックに付けておくこと。メリット、デメリットをよく考えて使い分けていただきたい。

 

単独行は避けよう

山の楽しみ方は様々だ。岩登りや雪山登山など冒険的要素の強い登山もあるが、日本百名山に代表される中高年登山は趣味の世界、冒険登山に対し趣味登山と考えるとコンセプトが明快になろう。

とはいっても前述したように、山は非日常の世界。わが身に思いもよらぬ災害が降りかからぬとも限らない。危機管理は大切だ。その最たるものは、単独行の原則禁止であると考える。山登りは一人がベストとおっしゃる方が多いが、最悪の結果となる事故の多くは、単独行者であることも知っておく必要があろう。「趣味登山は4人から」というのが私の持論、危機管理の基本ではあるまいか。
一人では、足首など骨折したとき、どうすることもできない。二人でも、事故者は現場に一人で残され救援を求めに走る者も単独。三人でも事故者に付き添いは置けるが、救援を求めるのは単独。四人の仲間で登山すれば不幸にしてアクシデントに見舞われたとき、一人が当事者に付き添い、二人で救援を求めに走れる。これなら安心。

アクシデントに限らず、山登りでは安心していられる環境を確保しておくことで、安全がプレゼントされるのだ。「安心登山の十ヶ条」を提唱する理由である。
 アクシデントが発生してしまったらどうするかについては、皆さんがもう少し山に馴れてから説明することにしたい。
「あんな苦しい思いをして、なんで山登りなんてするんだろう」と疑問を抱いている方には、百万言費やしても山の魅力を理解してもらうことは難しい。仲間うちでよく話をすることだが、やってみなくちゃ分からない。あの苦しい思いが山頂に立ったとき、大いなる喜びに昇華する、ということは・・・・・。
ご自身の長寿のため、だまされたと思って山登りを始めてみてはいかがだろうか。

別表                               


 

                                                (終わり)